”伝統は時々隠れている。見えなくなる。
しかし流れている。続いている。
それが日本の一番の魅力だ。”
NHKスペシャル「私が愛する日本人へ
~ドナルド・キーン 文豪との70年~」
を南会津の土地で観ました。
しかし流れている。続いている。
それが日本の一番の魅力だ。”
NHKスペシャル「私が愛する日本人へ
~ドナルド・キーン 文豪との70年~」
を南会津の土地で観ました。
東日本大震災後、多くの外国人が日本を
離れたと知って、
「私は日本に行き、ずっといる。
(日本を)信じます、と知らせたかった。」
そう言って日本の国籍を取得した、米国
生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーン氏。
氏が著わした日本に関する著書は、日本語で
書かれたもの、英語で書かれたものを合わせる
と40点以上にのぼります。
「日本文学史」「百代の過客 日記に見る日本人」
「明治天皇」「日本文学は世界のかけ橋」など。
戦後70年に渡って、日本の文学の魅力を世界に
伝え続けてきた氏は、「日本人よりも日本を知る
男」と呼ばれています。
母子家庭に育ち、経済的困難に遭遇します
が、奨学金を受けて飛び級を繰り返し、
16歳でコロンビア大学文学部に入学しました。
49セントで購入したアーサー・ウェイリー訳
「源氏物語」に感動したキーン氏は、日本語
を学び始め日本を研究する道に入ります。
コロンビア大学に在学していた、日米開戦前
年のこと。それまで好戦的な日本人観を持って
いた氏は、英訳「源氏物語」に出会います。
独特な日本人の美意識に感動した氏は、
日本語を習いながら日本研究に取り組み
ました。
年のこと。それまで好戦的な日本人観を持って
いた氏は、英訳「源氏物語」に出会います。
独特な日本人の美意識に感動した氏は、
日本語を習いながら日本研究に取り組み
ました。
翌年、日米開戦ともに情報将校として海軍
に勤務。アッツ島や沖縄などの激戦地で、
日本人捕虜の尋問や押収した日本人兵士の
日記の翻訳を担当。
深い感銘を受けたのは、死を間近にし、遠い
故郷を懐かしむ気持ちが綴られた日本人兵士
の日記。むさぼるように読んだそうです。
著書「私と20世紀のクロニクル」にある、その時
の心境を書いた一文。
”これらの日記は時に耐えられないほど感動的
で、一兵士の最後の日々の苦悩が記録されて
いた……私が本当に知り合った最初の日本人
はこれらの日記の筆者たちだった。”
で、一兵士の最後の日々の苦悩が記録されて
いた……私が本当に知り合った最初の日本人
はこれらの日記の筆者たちだった。”
”以前、室生寺に行った時、すごい雨が降って
きました。そして、なかなか雨が上がらないの
です。
です。
その時に、おばあさんは、私を見て、私に傘を
貸したんです。
そしてわたしは、返せないかもしれないと言い
ましたら、かまいません、どうぞ使ってください、と。
何でもないこと、私は忘れられないです。
そういう親切さ、優しさは、私は一番好きかも
しれません。”
日本の文化を語る場合、どうしても「美意識」
に触れなければならない。
キーン博士はそう言います。
”それぞれの民族にはそれぞれ、美に対する
要求があります。
ただし、多くの「美」は金銀や鉱石をあしらう
などして華やかなものや永遠に残るものを
目指したものです。
それらはきわめて「男性的な文化」であり、
たとえば11世紀に女性の手によって書かれた
『源氏物語』のような、はかなさを美とする文学
は古来よりヨーロッパには存在しません。
徒然草の中で兼好法師が、「すべて、何も皆、
ことのととのほりたるはあしき事なり。
しのこしたるを、さて打ち置きたるは、面白く、
生き延ぶるわざなり」と喝破したり、
松尾芭蕉が「霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き」
と吟じた中に、日本美学の根幹を見ることが
できます。
要求があります。
ただし、多くの「美」は金銀や鉱石をあしらう
などして華やかなものや永遠に残るものを
目指したものです。
それらはきわめて「男性的な文化」であり、
たとえば11世紀に女性の手によって書かれた
『源氏物語』のような、はかなさを美とする文学
は古来よりヨーロッパには存在しません。
徒然草の中で兼好法師が、「すべて、何も皆、
ことのととのほりたるはあしき事なり。
しのこしたるを、さて打ち置きたるは、面白く、
生き延ぶるわざなり」と喝破したり、
松尾芭蕉が「霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き」
と吟じた中に、日本美学の根幹を見ることが
できます。
日本人は、短歌や俳句に代表されるように、
刹那的な感情を表現することを芸術の本意と
しています。
刹那的な感情を表現することを芸術の本意と
しています。
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