「神渡良平人間学」第32回のゲストは、大谷貴子様
(日本骨髄バンク評議員、全国骨髄バンク推進連絡
協議会顧問)。
大谷様は、1986年12月、千葉大学大学院在学中
に慢性骨髄性白血病と診断されました。
発病時、余命3か月から半年と宣告されたその後の
人生について、当日はお話いただく予定です。
(日本骨髄バンク評議員、全国骨髄バンク推進連絡
協議会顧問)。
大谷様は、1986年12月、千葉大学大学院在学中
に慢性骨髄性白血病と診断されました。
発病時、余命3か月から半年と宣告されたその後の
人生について、当日はお話いただく予定です。
その体験談は、NHK「プロジェクトX」、TBS「情熱
大陸」、フジテレビ「アンビリーバボー」などで紹介
され、大きな感動を呼びました。
以下は、NHK「プロジェクトX」からの引用です。
”毎年5000人が発症する血液のガン・白血病。
原因は不明で、老若男女、誰もが突然襲われる。
かつて薬で完治する確率は3分の1と言われ、
残りは、血液を作る骨髄を他人から移植する
『骨髄移植』しか手だてはなかった。
昭和61年、大学院生だった大谷貴子は、就職が
始まった矢先、突然白血病の宣告を受けた。
骨髄移植を受けなければ助かる見込みはなかった。
骨髄の型が適合し、移植が可能になるのは兄弟
で25%、他人では数千分の1と極めて低い。
大谷は、必死の提供者探しの後、奇跡的に母親
と適合し、生還した。
しかし、入院中に、同じ病の苦しみをいやし合い、
姉妹のように過ごした1人の少女は、提供者が
見つからず、中学3年生の15才で亡くなる。
大谷は、少女の死に衝撃を受けた。
「誰もが移植を受けられる世の中にならないか」
そして、自分の移植を担当した医師、森島泰雄と
共に、日本初の骨髄バンクを作るプロジェクトを
発足した。
平成元年、9月。やっとの思いで第1号移植への
道が見えてきた。日本初の提供者は40才男性。
岐阜の市役所職員だった。
恐怖、使命感、手術が近づく中、男の心は揺れた。
今や、白血病患者の命を救うかけがいのない
制度となった骨髄バンク実現のため、ボランティア
で心血を注いだ人々の愛と勇気。”
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0006897
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