『人間が人間のことを想う美しさ』

「幸せとは、ある時人が人に感じるやさしさ」

高倉健さんの言葉です。















NHK BSプレミアムでメイキング「単騎、千里を走る」の再放送を
観ました。 

中国・雲南省
で撮影された映画「単騎、千里を走る」
病気で倒れた息子との約束を果たすため、単身、
中国を旅する父親の物語


健さんは、映画の主人公役と同様、付き人を伴わず、
単身中国に渡りました。NHKは、このときの様子を
密着取材していました。

映画のメガホンを執ったのは、世界的な映画監督、
張芸謀(チャン・イーモウ)さん
。俳優歴50年の健さん
に対して、チャン監督はあえて中国の農村で暮らす
普通の人々を共演
させました。

「日本人・高倉健が、中国に生きる人々とぶつかる
ことで生まれる友情や感動を、この映画に込めたかった
のです。」

文化大革命後の1978年中国で歴史的役割を
果たすことになった1本の映画

高倉健さん主演の映画「君よ憤怒の河を渉れ」



長らく、外国映画が上映されることのなかった中国
で、
外国映画の開放政策がはじまり、その記念すべき第1作
となったのが、

当時ほぼ中国全土で公開され、健さんの名は一躍知れ
渡り、今日に至るまで中国では最も親しまれている日本人
の一人です。

そして、この映画を西安で熱い思いを胸に観ていた青年
がいました。彼の名は、張芸謀
「いつか、高倉さんの映画を撮りたい」という彼の願いを
健さんが受け止め、その願いが映画作成に至ります。

2006年上映の映画「単騎、千里を走る」
は、日本でも
馴染み深い三国志由来の京劇の演目。

後の蜀帝・劉備の義弟・関羽が、劉備の妻子と共に宿敵・
曹操の手に落ちるが、劉備への義理と誠を貫き通し、最後
はただ独りで劉備の妻子を伴い曹操の下を脱出し、劉備の
もとへ帰還
するという三国志の中でも最も感動的なエピソード
の一つ。


















映画は、この舞踊「千里走単騎」を巡って展開していく。物語
は、現代の中国と日本が舞台。

”主人公・高田(高倉健)は、余命いくばくもない民俗学者
の息子の代わりに、京劇「千里走単騎」を撮影しに、中国の
奥地・麗江市を訪れる。

この旅は、高田にとって、永年の確執によって生じた親子の、
埋めることの出来ない心の溝を埋めるための旅でもあった。

しかし、高田は、経済発展とは無縁の、雅やかな美しい麗江
の街並みや大自然、素朴で誠実な住人たちとの出会いや
人々の心情に触れることによって、自分の行き場のない想い
が少しづつ癒されていくのに気づきはじめるのであった......。”


映画の中で仮面劇の役者が、生き別れた息子に一目会い
たい
と、想いを吐き出すシーン。
この役を演じていた農民は、実際に離れて暮らすみずからの
息子を想い、涙を流し
ました。

なぜ、役者ではない農民の演技が、これほど心を打つのか。
芝居とは何か
を、改めて突きつけられました。

「巻き込まれますよね、やっぱりお芝居じゃない何かを感じる。
非常に新鮮ですね。お芝居ってなんだったのかなって思います
よ。今頃になって、ちょっと遅いんだけど。
やっぱりなんか、強烈に伝わってきますね、生きてるってこと。」

健さんの素直な感想が響きます。 

張芸謀は、「中国において、いま経済発展が著しいが、特に
都会において、お金やビジネスへの価値観が偏重される一方
、人間と人間の結びつきや親子の絆がどんどん薄まりつつある。

とても哀しいことだ。この映画では、一組の親子関係を描く
だけではなく、人と人との結びつき、すなわち人類にとって
普遍的なテーマを描こうとした。情感、人生に対する想い、
思いやり、反省、愛・・・人間関係にまつわる様々な魂の触れ
合いを描いた」
、とこの映画への思いを述べました。

なぜ、人間同士は穏やかな関係を結べないのか、お互い傷
つけあうのか。人間は実は人との結びつきを求めているはず
なのに。


それは、現代中国だけでなく、日本でもここ十数年顕著に
なってきている問題。

 「人を感動させるのはお金ではない、力ではない、
物ではない。

なんか違うものがあるはずなんだよね。何十年
たっても人を想うってことは、いかに美しいかって
ことでしょう。

人を想うってことだよね。人間が人間のことを想う、
これ以上に美しいものはないよね。」

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”