『誇り高き日本人でいたい』

敬愛する森の師匠、Ⅽ.W.ニコルさんより大変
すばらしいニュース!
 
天皇皇后両陛下が「アファンの森」をご訪問
されたそうです。
弟子の一人として、また森づくりの一端に関わらせて
いただいた者として、とても嬉しく思います。
ある年の冬、例年よりも雪が少ない中、森は凛として
気持ちのよい空気に包まれ、次の再生に移るまで
生きものたちが眠っている
時期。
私たちが雪の上を踏む音だけが静かに鳴る自然の
空間は、とても心地よいものでした。

森番の松木さんのいる小屋にも顔を出したところ、
「今日は炭焼きの窯出しの日だったから早朝の3時
から来ていたんだ。小屋の中にいて寒かったの何のって。
炭焼きの作業に取り掛かってそろそろ12時間だ」
 
といいながら、窯から出した木炭を10kg×8袋を
作っていました。毎回会うたびに脱帽の森の名人

二コルさんとは、森の話を中心にいろいろな話に
たくさん花が咲きました。

ジェーン・グドール博士からの手紙を見せると
「すばらしい!やっぱりすばらしい人は皆手紙なんだよ」
といわれて、中身を見ると「同感です。同じ気持ち」と
深く頷いていました。

明治生まれの日本人のすばらしさの話になり、
同席していた方の祖母が102歳で、私の祖父は97歳
で亡くなったこと、その二人とも明治生まれで気骨を
持ったすばらしい人であったことを聞くと、

「ぼくが日本に来た頃(昭和30年代)にはどの地方
に行っても、英語かドイツ語を話せる人が一人はいて、
どの人たちもジェントルだったよ。
 
ああ日本人は何てすばらしい人たちなんだろう、
日本の自然は何とすばらしいのかと。
こんなに多様性に満ちた自然や文化を持つ国はない」 

そう感じて、日本に惹かれたのだと語り始めた。

「もう何十年も前のこと、1960年代の日本で、私は
鬱蒼としたブナの森を歩いていた。
 
樹木の霊気に包まれた私の胸に、かつて経験したこと
のない不思議な感動がこみあげてきた。
私はその場に立ちつくしたまま、頬を伝う涙をぬぐうこと
も忘れていた。

ここはエデンの園なのか。はるか昔のブリテン島で、ケルト
人の心を熱くしたのはこの感動だったのだろうか。

時代は下って1980年代、私は黒姫に居を定めた。
その頃から、日本の未来に希望を失い始めていた。

樹齢を重ねた森の木が次々と切り倒され、コンクリート
工事が河川の姿をねじ曲げる。湿地はゴミで埋め立て
られ、人々は金儲けに目の色を変えた。」

当時の日本の姿に深い絶望感を抱えながら、ニコルさん
故郷ウェールズに旅立ちました。そしてそこで目にした
のは、情熱を傾けて森の再生に取組む人々の姿。
 
「ウェールズで何より私の心をとらえたのは、「アファン・
アルゴード森林公園」だった。
 
子供時代、そこは炭鉱から出る粉炭にまみれた緑も
まばらな地域だった。付近では大雨でボタ山が崩れ
小学校の上に滑り落ち、多数の生徒が犠牲になる
事故も起きていた。

南ウェールズの状況は、産業革命以降のつけともいう
べき環境破壊の典型的な例だった。

深刻な失業問題に加えて、地滑り、洪水、環境破壊
。重なる災厄に苦しんだウェールズ人の中に、状況
改善の糸口は、健全な混交林をつくることだと気が
ついた人々がいた。

森林再生を目指した彼らの渾身の努力は実を結んだ。
 
1980年代にアファンの谷を訪ねたとき、煤けたボタ山
も羊に食い尽くされた禿げ山もそこにはなかった。

代わりに目に映ったのは、澄み切った小川でマスやサケ
が産卵し、カワセミとカワガラスが水遊びに興じる、
緑豊かな森林公園だった。」

ウェールズでの体験は、ニコルさんの人生を大きく変える
ことになります。

「私は考えた。不平不満を言い募るだけでは何一つ
変わらない。もう嘆くまい。

あのウェールズ人たちがしたことを、この私もやってみよう。
私にとって深く愛する第二の祖国、日本のために。

本の印税や講演の収入はほとんど長野県黒姫の
土地の購入にあてた。
そのほとんどの土地は第二次世界大戦後、満州から
引き揚げてきた人たちに政府が安く払い下げた土地
であった。

しかしそこは湿地上の土地であったため、木を切り
倒して開墾したものの農業は成功せず、入植者達は
土地を捨てる結果となった。
 
以来放置され、手入れもされずにひょろ高くなった
針葉樹の人工林、下草とつる性植物がびっしりと
はびこる区域、という有り様だった。

(少しずつ購入していった森は、再生の取り組みを
行い、天然林の復元が少しずつ進み、それに伴って
生き物の数や種類が増えていった。

2002年、自分の死後もこの森が豊かに残ってほしい
という二コル氏の願いが叶い、「C.W.二コル・アファン
の森財団」が設立。二コル氏は理事長となった)

財団設立に当たって、私は貯えてきた金の大半と
すべての私有地を財団に寄付した。財布の中身は
軽くなったけれど、私の心は豊かに充足している。

それは私をじっと待っていてくれた本当の自分と巡り
合ったような充実感だ。

人と土地が一体になるためには、自然に対する畏敬
の念を忘れてはならない。
敬意と愛情をもって土地に足を踏み入れ、手入れを
することが大切なのだ。
 
私たちの基本姿勢は、文字通り「手をかけて」森を
守ること。手間ひまかけた作業があってこそ、自然は
我々に応えてくれるのだ。
ケルト系日本人の年老いた赤オニにとって、森から
もらった最高のプレゼントは森との一体感だ。
 
私の死後も森は行き続けてくれる。そう考えただけで
心は安らかになる。
 
この一人の異邦人はやっと帰るべき故郷を得た。
正真正銘の日本の国民になれたのだ。私は、
これからも誇り高き日本人として精いっぱい生きて
いきたいと思っている。」
(「誇り高き日本人でいたい」)

冬の森での別れ際、二コルさんは私に向かい、こう
言葉をかけてくれました。

「I'm very proud of you! 本当にそう思っている。
君が学校に入り、野外実習で黒姫に来たときのこと
をよく覚えているよ。

わけのわからない学生達の多い中で、君だけは背筋
を伸ばし、未来に向けて輝く希望の目を持っていた。
卒業してから6年が立つんだね。
短い間で本当にすばらしいことを行っているよ。

私はだんだん年をとって自分のできる範囲は小さく
なってきた。でもこのアファンだけはこれからも守って
いくよ。」

二コルさんから頂いた言葉を誇りに思いつつ、志ある
魂のきれいな人との交流
を大切にしたいと思います。

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”