『令和の時代の始まり』

『Beautiful Morning MIROKU』(「神渡良平人間学」

第46回)を無事開催。 

 
ゲスト講師の瀬戸龍介さん&常任講師の神渡良平先生

から様々なお話をいただきました。瀬戸さんは、

第18回(2013年12月)から5年ぶりのご講演です。


『令和の時代は、考えるよりも感じることが大事になる』

『ありのまま』『自分にウソ・ゴマカシはしない』

『日本は魂・心・あり方の国』

『感心・感動・感謝』・・・(瀬戸さんの言葉より)


『アマテラスとスサノヲの和解=令和』

『本を読むことは、天の声を聴くこと、天の光に

さらされる』『世の中は立体』・・・(神渡先生の言葉より)  

「何のために生まれてきたのか?」

この問いを自分に投げかけられた時、あなたは

何と答えますか。瀬戸さんのお話はこの問いから

始まりました。

そして「令和」の時代は、戦い・争いを繰り返して

きた人間の歴史に終止符を打てる大切な時代で

あると。カタカムナで、「レ」は消し去る、

「イ」はつなぐ、そして和を以って貴しと為すの

「和」。


インターネットの発達により、情報の公開性が高まる

中、ウソやゴマカシは全て直ぐにわかるものとなった。

しかしそれ以上に、自分自身が一番わかっている。

自分の元にあるもので感じられたありのままを話す

時、それは「言霊」である。ところがありのままで

なく、修飾された途端にそれは単なる「言葉」で

しかない。


現代の世の中を生きていくにはこの修飾が必要だ。

しかし自分の「自身」は、本当はこの修飾に違和感

を感じている。心で感じたままでなく、頭で考えられた

言葉の違和感を。自分でない自分が言ったかのような

感覚を。


瀬戸さんがお住まいの山中湖を昨夏、台風が襲い

森の樹々を倒してしまったという。瀬戸さんは親神様

に問うた。「なぜこの様なことをされたのですか?」


それに対する答えは、「倒れた樹たちは皆、自分で

志願したのだよ」。宇宙の摂理であった。

私はこの話を聞きながら、自然環境保全の恩師

C.W.ニコルさんのその師であった「どろ亀先生」の

ことを思い出した。

”その夜、どろ亀さんは一人で川松沢の山小屋に
泊まった。そして夜中に一人で森を歩き回った。  
倒れた木とお別れしたかったし、傷ついた木や
動物たちを見舞いたかったからである。  


夜の森はいっそう悲しかった。  
まず恩師のエゾマツさんのところにいった。  
「どろ亀くんか、よく来てくれた。
わしはもうだめなんだ。 もう立てんよ。
日一日と水分がぬけて体が乾いてゆくのが
よくわかる。気も遠くなってきた。

もうじきこの森ともお別れだよ。     
自分はこの森で四百数十年も行き続けてきた。
さまざまのことがあった。
だが、このような強烈な台風に直撃されたのは
初めてである。  


でも、大樹海の遠くの森でも、数十年から百年に

一度くらいの割合で台風にやられている。

これは風の神のなせる業で仕方がないことさ。  

気を取り戻しなさい。あせってはいけない。

時を待つのだ。数十年もすれば・・・」  


『耳をすますと森が教えてくれた』より)

一見変化がなく静的に見える自然界は、実は

動的な変化が常に起きている。見るではなく、

それを感じられるか。


どちらが正しいかを争うという二項対立に対し、

日本人が本来大切にしてきた「三位一体」。

日本の神話にある三貴神、アマテラス、ツクヨミ、

スサノオ。

ツクヨミは目立たぬけれども、私たちをいつも

ほのかに照らし静かに見守ってくれている。

真なる成長を願う親神の姿は、只有難く気高い。

感謝するばかり。


”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”