「縁(えにし)とは、深く味のあるもの」
人の縁、土地の縁など、まるで茶の湯の如しと思います。
15年ほど前、お隣の我孫子駅から手賀沼の辺りまで、
名所を訪れながら歩くことがあり、そこで思わぬ
収穫がありました。
かつて昭和初期の我孫子は「民藝運動」を始めた
柳宗悦が住居し、彼を慕って志賀直哉や棟方志功、
河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、等
「白樺派」と呼ばれる一流の芸術人達が集まっていた
のを知ったこと。
バーナード・リーチ氏。
六代乾山に師事し、東西の伝統を融合し、独自の美
の世界を創造した英国人陶芸家で、本国でも高い
評価を得ています。
「私にとっての最大の収穫は、道教や仏教に深く潜み
、禅宗藝術と工藝に常に現れている”無”―無所依の
意味の認識において得られた。
西洋世界が、栄養と新鮮な霊感とを汲取ることができた
、と私が信じているのは、この泉からである。
これは、東洋藝術が育まれた土壌、”渋さ”や”無”や
”空”や”無為”や”涅槃”の源である。
しかし、西洋と対照的なこの思想の翻訳は、これまで
はなはだしく合理的思考のニュアンスを染み込ませ
過ぎていた。
”無”は単なる消極性ではなく、消極性と積極性とから
ともに無縁な、不分別の状態なのだ。
我々が焼物で最も評価するのはこの”性(さが)”であり、
開かれた窓を風が吹き抜けるように、生命の霊気が
人を通過するときに、軽やかに自然に流動する。
これは”曖昧な総体”への矯正法であるが、個人
自主の思想や知性の結果ではない。
慎ましき工人の財宝であり、大藝術家の安息の場
なのだ。」
(「バーナード・リーチ日本絵日記」)
私がリーチ氏の名前を知ったのは、2000年頃師匠の
C.W.ニコルさんを黒姫の自宅に訪ねたときのこと。
執筆に使っている書斎へ特別に通してもらうことができ、
数々の原稿や数冊の本を目に。
ニコルさんの本はほぼ持っていた中で、未だ目にした
ことのない題がありました。
『バーナード・リーチの日時計』
ニコルさんが1962年に来日して間もない頃、
仲省吾さんという老人と知り合い、その交友について
語っている随筆。
(この本を元にNHKが1983年、ドラマ「日時計」を放送)
”英国の若者と日本の一老人の心の交流を1枚の
タイルの陶板で作られた日時計をなかだちに描く
異色ドラマ。
1964年、日本に留学していた24歳の若者ウィリアム
は、ある日、武蔵野の林の中で日本人の仲さんに
英語で話しかけられる。
ウィリアムは、自分の祖父に対するような親しみを
覚える。
仲さんは老人ホームの庭に日時計を作っていた。
そこにはめこまれた陶板は、英国の陶匠・バーナード・
リーチのものだった。
秋、仲さんは病いに倒れる。
仲さんの脳裡を去来するのは、リーチと共に過した
ロンドンの日々である。
ウィリアムを昔の仲間と思いこむようになった老人を
なぐさめるために、彼は仲さんの思い出の中の人物
の役をつとめるようになる。
64年冬に老人は衰弱しうわごとのようにリーチに
ついて語るのだが、ある日ニコルは新聞でリーチ
来日の記事を読み、連絡を取ってリーチを老人に
引き合わせる・・・。”
その後、1969年仲氏が亡くなった後にニコルさん
は氏が生前を過ごしていた老人ホームを訪ねます。
庭にあった日時計は、既に取り外されていましたが、
真鍮の台座は残されており藪や誇りに覆われていた
碑板には、一人の人の人生の宣言がこう書かれて
いました。
『昼は栄光の恵に浴して歩み 夜はその懐に憩う』
ニコルさんはその時のことをこう語っています。
『私はその時初めて、老人が書き残したこの詩の
真のこころを感じた。
長い年月の間人の目から隠され、今再び
自分が掘り出した、その日時計と碑板の前に
立っていると、何だか老人の霊が私の傍らに
立って、微笑んでいるような気がするのであった。』
若かりしバーナード・リーチ氏が火災のために
自分の家と窯とを焼かれて困窮していた時に、
彼を助けて立ち直らせたのが仲省吾氏。
再びニコルさんの言葉から。
『この二人の人物の間には疑いもなく深い友情が
あった。
二人はそういう友情がもっとも大切な人生の時期
に助け合い、啓発し合った。
そしてやがて時と戦争と身辺の事情とが二人を
引き離してしまった。
しかしどんな邂逅にも、どんな友情にも断ち切る
ことのできない何ものかが常にひそんでいる。
当時、私はまだ24歳の若者で、やっと自分自身の
人生に踏み出し、冒険や困難や悲劇にまだこれから
遭遇することになる時のことであった。
その私にとって、仲省吾氏は人生の黄昏にいる、
やさしい明治人の老紳士に過ぎなかった。
私たちの出逢いはまったくの偶然の賜物であった。
そうとしか私には思えない。
大切なのは、私たち二人がお互いにとって役立つ時
を持ったことである。』
ニコルさんの旧い記憶にある懐かしい物語のことを、
我孫子の土地を歩きながら思い出していました。
それにしても、「昼は栄光の恵に浴して歩み
夜はその懐に憩う」という言葉の何と奥深いこと
と思うばかりです。
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