全日本仏教会の会長に今年4月1日付で
ご就任される、天台宗の半田孝淳座主 の記事。
http://www.shinmai.co.jp/news/20120329/KT120328FTI090019000.html
半田孝淳座主は、長野県上田市出身。
1961年から2004年まで別所温泉の常楽寺住職を
されており、2007年に第256世天台座主に就いた
そうです。
この「別所温泉」は、私にとって感慨深い思い出
がある土地。
ご就任される、天台宗の半田孝淳座主 の記事。
http://www.shinmai.co.jp/news/20120329/KT120328FTI090019000.html
半田孝淳座主は、長野県上田市出身。
1961年から2004年まで別所温泉の常楽寺住職を
されており、2007年に第256世天台座主に就いた
そうです。
この「別所温泉」は、私にとって感慨深い思い出
がある土地。
かつて、同寺の御本尊千手観音菩薩様に
命を救われました。
それは神仏のご加護を覚えた大変有り難い体験。
98年11月、上田市で開かれた森林間伐の
ボランティアに参加したときの事。
ボランティア参加の前日、東京から長野へ入った
私は雪積もる四阿山に登ると、その後上田の近辺
に泊まり、翌朝活動場所に移動しようと計画して
いました。
上田に行くのは初めてで、道路地図を見ながら
周辺にあった温泉地を見つけ、向かうことに。
「別所温泉」という地名。
一軒の民宿を見つけ、宿泊を訪ねると可能と
言われ、その晩お世話になることとなりました。
部屋に入り荷物を下ろし、昼間登った雪山の寒さで
冷えていた体を暖めたいと思い、風呂を尋ねました。
しかしこの民宿では内湯が狭いとのことで、外湯を
勧められて宿からすぐ近くにあるという温泉場の券
を渡されたのです。
そこで着替えを持ち、外に出ようと玄関に向かおうと
すると、宿家に住むお爺さんが、リビングに座って
いる姿が目に入りまし。
『こんにちは!』
『今日、お泊りのお客さんかね?』
『ええ、今日こちらでお世話になり、明日の朝上田へ
移動して森林保全のボランティアに参加する
予定です』
お爺さんにお茶を勧められたので、せっかくと思い
よもやま話をしばらくしました。
『じゃあ、そろそろ温まりに行くとします』
と言うと老主人は、
『温泉場に行く途中、北向観音と昔から
呼ばれている偉い観音様が祀られている。
ぜひお参りしてくるといいよ』と繰り返し
言います。
これほど熱心に勧めるというのは、よほど
霊験ある観音さまなのだろうと思いました。
ところが外に出ると、陽は落ちてすっかり暗く
なっていたことから、温泉への途中お寺の看板を
見かけたものの寄らずに、身体を温泉で温め、
そのまま宿へ戻りました。
そしてその晩を過ごすと、翌朝朝食を済まし、
食堂でお茶を飲んでいました。
すると昨日の老主人が食堂に入ってくると、
『昨日薦めた観音様には行ったかな?』
『いや、昨日は時間が遅くて暗かったので、結局
行けなかったのです』
そう答えると、お爺さんは
『あの観音様は「朝観音」と昔から呼ばれていて、
朝にお参りするとより霊験がある。
ぜひ行ってごらん。
千代の富士関は幕内時代から何度も
お参りに来ていたんだ。
その後名横綱になったんだよ』
と教えてくれました。
これほど何度も参拝を勧められてはと、集合
時間まで余裕もあり、有り難くお参りをする
ことにしたのです。
そして、「常楽寺」の境内に入りました。
お寺は、天長3年慈覚大師により
草創された由緒ある古寺。
中秋の朝に爽やかな空気を感じ、とても心地よい
ものでした。
「北向観音堂」で本尊の
千手観音菩薩様に手を合わせて拝みました。
『どうぞ本日の森林間伐の作業を無事に行うことが
できますように御守りください』
その日上田市で行われた森林整備のイベントは、
間伐を行って切り出した材を運ぶことを行うもので、
参加者は百人を越えていました。
小説家の立松和平さんや俳優の永島敏行さんも
一緒に汗を流していました。
開始のあいさつのセレモニーが終わり、参加者は
それぞれ広い山内に散らばると、数名の小グループ
単位で作業を行い始めました。
チェーンソーを使うもの、鋸を使うもの。
私は鋸を使って気持ちよく汗をかきながら、
間伐した木を広場へ繰り返し行いました。
この日は安全管理の注意として、
木を倒す時はかならず大声をかけて、
周りに注意を呼びかけることがアナウンス
されていました。
しかし、チェーンソーを初めて使う者が多く
混ざっており、とにかく伐りたいという気持ちが強く、
安全管理がその日現場で徹底されていない
ところがあったのです。
私が材を運び、自分の作業場に戻る途中のこと。
突然「危ない!」という声が聞こえ、咄嗟に上を
見ました。
近くの山上でチェーンソーにより倒された
材がズバーン!とうなりを上げ、もの凄い勢いで
こちらへ倒れ落ちてくるのが見えました。
うわっと、とっさに前へ身を避け、倒木は私の
ヘルメットをバサッとかすり、その先へ落ちて
いきました。
ほんの一瞬タイミングが違っていたら、直撃。
打ちどころが悪ければおそらく命はなかった
でしょう。
突然我が身を襲った不意の出来事にどきどき
しながら、その時私は今朝のお参りの事を
思い出していました。
観音様に護られた!
後で知ったことですが、「北向観音堂」は
北に向いています。
観音様が『北斗星が世界のよりどころと
なるよう、我も又一切民衆のよりどころとなって
済度をなさん』というお告げによるもの
だといいます。
私が住んでいる家の近くには「北星神社」
があります。
年の始めには欠かさず新年のお参りをしており、
息子が生まれてから御祝の行事を必ず行って
きました。
北星神社が祀っているのは、天御中主命。
もともと明治時代に行われた廃仏毀釈の前までは、
「妙見宮」という名前の場所に
「妙見菩薩様」を祀っていたといいます。
妙見菩薩は、北斗七星や北極星という自然が
神の姿になったもので、亀に乗って空を
飛びまわります。
ちなみに我が家では息子がペットに選んだ、
クサガメ二匹がいます。
「北向観音」と「北星神社」からの御縁が、
いつも我が身を見守ってくれている。
何と有り難いことかと感謝の気持ちです。
実は私は子どものときから、何度か
大きな事故にあっています。
それにも関わらず、不思議と軽傷程度で済んで
きました。
例えば、幼稚園の時のこと。
帰りのバスを下りた私は、いつも迎えに
来ているはずの母の姿が見えないことに
動揺し、急いで左右の確認もせず、
道の向かいにある自宅へ向かって飛び
出してしまいました。
そして、トラックにぶつかりました。
ところが、車の側面に大きくぶつかったはず
なのに、軽く頭を切る程度ですんだのです。
三十歳を過ぎ、そのことを思い出して母に話すと
こう言われました。
『人にはそれぞれこの世に生まれてきて
果たす役割があるのでしょう。
あなたがその役割をきちんと果たすまでは、
神様仏様やご先祖様は命を護ってくれている
のだね。
命があるということは、そういう有り難いこと
なんだよ。
いつもいつも生かされていることに、深く
感謝しないといけないね』
母から言われたこの言葉を大切にしながら、
「生、有り難し」という深い感謝の念をいつも忘れず、
「我が命を使い与えられた役割を果たす」ように
努めていきたいと願います。
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