『千年の檜には千年のいのちがある』

映画鬼に訊けを観ました。

千年先に、いのちを繋ぐ。 
「鬼」と称せられ、法隆寺の昭和大修理
薬師寺の伽藍復興に一生をささげた匠の生涯



『人間というのは知恵があって、
すぐれた動物やから、なんでも自分の思うように
しようとするけどね、
そんなの自然がなくなったら人間の世界が
なくなるんです』


西岡常一氏、明治41年奈良県生まれ。
木のいのちを生かし千年の建物を
構築しました


戦争による幾度かの応召を挟み、法輪寺三重塔、
薬師寺金堂・西塔の再建を棟梁として手がけ、
飛鳥時代から受け継がれていた
寺院建築の技術を後世に伝え、「最後の宮大工」
称せられます。平成7年没。

西岡棟梁は、祖父の常吉棟梁から教えを受け、
大工になる前「土を知る」ために
生駒農学校に不承不承入学させられます。

















遠回りに思える農作業には、”法隆寺宮大工「口伝」
に伝わる伽藍建築の全ての神髄が含まれている
ことを知ります。

自然は土を育み、土は木を育てる
そのことを知ったとき、教えの深淵さに身震いした
といいます。

土を知ることから始まり、何故「法隆寺の鬼」と
称せられるようになったのか、そこにあるのは
伝統を守ることだけではなく、現代文明に抗い
ながらも「いのちを繋いでゆく」ことの尊さが、
仏教建築の全ての原点である
ことを
自らが悟ることでもありました。



復興工事のさなか、危惧していた日本での
用材調達が困難となり、樹齢千年以上の
檜を求めて台湾に行きます。

同時に日本の国土の65%を占める
森林の、一つの寺さえ作ることできないほどの
荒廃した姿、自然に寄り添うことを忘れた
私たちの日常
が露わになっています。

千年生きる建物とは、千年生きる檜が必要であり、
その上で木のいのちを繋いでゆく技術が必要だ

と西岡棟梁は言います。

木は鉄を凌駕する
これは建築のみならず安きに流れる日本文化や思想に
対する反論。

速さと量だけを競う模倣だけの技術とは根本的に
異なる日本人のいにしえの叡智、そして自然への
洞察、千年先へいのちを繋いでゆくという
途方もない時間への執念
を西岡棟梁は
持っていました。



西岡家の床の間には、「不東」と書かれた
軸が掛けられていました。

玄奘三蔵法師が経典を求めてインドに旅立
、途中で危険な西方に行くのを諌められた時、
志を遂げるまで唐には帰らない
と自らに誓った言葉。

同時に法隆寺の昭和の大修理薬師寺白鳳伽藍
復興工事
に携わった西岡棟梁が終生大事にした
言葉
です。

技術の伝承、とりわけ宮大工の奥儀は、
言葉ではなく体で覚えるもの、技術は盗むもの
といわれ長い時間をかけ、厳しい修練の後
にごく一握りの者だけが獲得
できるもの。

しかし、西岡棟梁は宮大工の経験と技術、
研ぎ澄まされた感覚
を若い人たちに
最後の力を振り絞り、残された時間と戦いながら
あえて言葉で伝えようとしていました


その言葉に託したものは、技術の取得の領域を
はるかに超え、我々日本人の失った
ものに対する警鐘と回帰
ではなかったのでは
ないでしょうか。

『飛鳥に帰れ』という言葉は、永遠なるものへの
思いにほかなりません




西岡棟梁の言葉

『千年の檜には千年のいのちがあります。

建てるからには建物のいのちを第一に
考えなければならんわけです。

風雪に耐えて立つ―
それが建築の本来の姿やないですか。

木は大自然が育てたいのちです。

千年も千五百年も山で生き続けてきた、
そのいのちを建物に生かす。
それがわたしら宮大工の務めです』


現代日本人が顧みることのなくなった根源的な
日本人の有り方
に目を向け、心の復興
を願う
時、西岡棟梁は静かにその大事さを
教えてくれます。


”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”