『暦とは本来、己を読むもの』

今日、2012年7月26日は、マヤ暦の
1月1日にあたる日


「13の月の暦」では、
28日×13ケ月+1日(時間をはずした日)=365日


「マヤ暦」は、現代の科学技術で解明された
地球が太陽を回る「公転」、つまり
一年を正確
に割り出しています。

ちなみに巷で話題の、マヤ暦最終日2012年
12月21日で世界が終わるという説については、
マヤ族の長老がはっきりとそのようなことはないと
言っています。

『人間が精神的な成熟過程に入るために、
これまでの生き方の方向を転換することが
迫られるだけである。』
















日本を含め世界の多くの国で現在使われている
グレゴリオ暦は、一ヶ月が28日だったり、
31日だったり非常に不規則
になっていて、
私は子どもの頃から違和感を感じてきました。

1582年、時のローマ教皇グレゴリウス13世が
、ユリウス暦を改良して定めたのが、今日の世界共通暦
であるグレゴリオ暦


グレゴリオ暦は太陽暦としての1年の精度、
すなわち「正しい春分」を迎えるために
太陽の周囲を地球がひとまわりする長さ
にこだわり
ました。

それは、ゴルゴダの丘で磔になって死んだイエスが
その3日後に甦ったという伝承にもとづいた
宗教行事「復活祭」のみを重視
したもの。



一方で、それ以外の点、すなわち改暦以前から
そのまま継承されていたユリウス暦の矛盾や
理論破綻については、まったく考慮に
入れなかったのです。

これによりグレゴリオ暦は規則性や
客観的根拠を内包しない非合理的な暦

となりました。

グレゴリオ暦の各月の長さは、旧暦のように
日数を決定するなにか基準があって定められて
いるわけではなく、むしろ当時の権力者の
恣意的な思い
でなし崩し的になっただけで、
何にももとづいていません。

すなわち1月が31日までで、2月が28日まで
であることの客観的な根拠が存在しない

のです。

宇宙的リズムや自然のサイクルをまるで
無視した、それゆえそれらと同調も調和もできて
いないグレゴリオ暦。

自然も人間も循環をもち、同時に自身もまた循環
の中にあります。

グレゴリオ暦の直線的な時間概念は、
自然界の生命活動の本来のあり方とは
決定的に矛盾
しています。

そして、この暦の制定と共に、ヨーロッパで
「大航海時代」が始まり、
世界の隅々を征服する植民地化
進みました。

征服された土地では、キリスト教に強制的に
改宗
させられると共に、それまでの暦を
捨てて、グレゴリオ暦を使用することを
強要
されたのです。



この歴史を知った時に、自分が感じてきた
グレゴリオ暦に対する違和感の理由が、
少しずつ納得できました。

私たち一人一人の身体は、呼吸、心拍、
細胞の分裂・再生など、数え切れないほど
無数のサイクルの有機的な結合により生命活動

として保たれており、地球もまた
複数のサイクルの有機的結合体
です。

グレゴリオ暦をベースとする現代の暮らしは、
地球環境に内在するいかなるサイクルとも接点
がもてず、自然との有機的なつながりが分断された
生活を送らざるを得ないもの。

日付の概念は、その日を言いあらわすための
識別符号、ナンバリングにすぎないのです。

世界の各地にあった旧暦が、循環という
実在する法則にのっとった自然暦
である
のに対し、グレゴリオ暦はあくまでも聖書
という人間の言葉で書かれたロジックにのっとった
人工暦
であるという事実。

この点こそがグレゴリオ暦の最大の危うさであり、
その意味ではグレゴリオ暦そのものが
バグ
であるといえます。

暦は、人間の深いところのリズムに関係しており、
己読(こよみ)と読み替えられます。

つまり、「己を読む」という言霊
「自分の人生を理解するのは、自分である」
さらなる本当の自分、ありのままの自分での、
より善き日々を過ごしていきたいものです。 

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”