「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず
逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない
時に」
.
「修身教授録」を著された森信三先生の
心に深く響く言葉。
今年1月から独立したことで、様々な方たち
とお会いする機会を頂き、意義ある出会いに
感謝する日々。
出会いの際に心がけるようにしていること。
逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない
時に」
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「修身教授録」を著された森信三先生の
心に深く響く言葉。
今年1月から独立したことで、様々な方たち
とお会いする機会を頂き、意義ある出会いに
感謝する日々。
出会いの際に心がけるようにしていること。
「一期一会」の精神で、頂いた縁(えにし)を
大事にするとの気持ち。
「一期」とは仏教語で人が生れてから死ぬまで
の間の意で、「一会」とは、一つの集まりとか
、一度の出会いを意味します。
この「一期一会」の心を説いたのは、
千利休だと言われています。
幕末の大老・井伊直弼は、武家の茶湯である
石州流に一派をつくり、独自の茶の湯の世界を
展開する中で、自分の茶道の一番の心得として
「一期一会」の言葉を世に広めました。
直弼の茶の湯の集大成ともいうべき書『茶湯
一会集』。
ここに直弼の茶の湯の神髄が説かれています。
「たとえ同じ顔ぶれで
何回も茶会を開いたとしても、
今日ただ今のこの茶会は
決して繰り返すことのない茶会だと思えば、
それはわが一生に一度の会である。
そう思うと互いに粗略に扱うこともない。
真剣な気持ちで、何事もなおざりにすることなく
一服の茶をいただくことになる。」
「主客とも余情残心の中で
別れの挨拶をする。
客は露地を帰るその道すがら、
どんなに感動が深かったとしても
大声でしゃべるものではない。
亭主は客が見えなくなるまで見送り、
戻って一人炉の前に座る。
二度と繰り返すことのできない
貴重な一期一会であったと観念しながら、
一人茶を点てて自己と向き合うのが
一会の極意である。」
独座観念の大事を想い、「一」の意味する
自己と相手との同一性を観ようとする
その奥深さに、粛然とした佇まいを感じさせられます。
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