『一日接すれば一日の愛が生じる』

晩にふと気が向いて「老子」を読む。
ある一章の言葉に心が深く動かされた。

『埴をこね、もって器を為る、
その無に当たりて器の用あり』












(粘土をこねて、茶わんや花びんをつくる。

それぞれの器の内部の、からっぽの「無」の部分
があるから、役に立つ
のである。

粘土をこねてつくった茶わんの形のあるところも
大切だ。

が、もうひとつ、茶わんの中のからっぽの部分
あるから、ご飯を入れたり、みそ汁を入れたりする
ことができる。

有形の茶わんを役立たせるのは、なんにも
見えない茶わんの中の「無」である
ということを、
深く見つめ、その働きを考える)

 















かつて、人間のえらさを測る物差しは、その人間が
なしとげた事業の大きさであり、もう一つは、
そういう仕事を行ったのがどのような人間であったか

と聞いたことがあります。

この「腕と人柄」を両方兼備していたのが、西郷隆盛
徳の高さと私心のなさから、多くの人々に敬愛された
南洲翁

「西郷先生は不思議な人格だ。
一日接すれば一日の愛が生じ、
二日接すれば二日の愛が生じる。

おれはもう数ヶ月接してしまった。
おれはもう西郷先生とともに
死ぬしかなくなっている」

西南の役の折、大分県臼杵の士族隊の隊長が、
敗戦濃い日、国もとから早く帰れと言ってきたので、
部下を帰国させた時にこう歎じたといいます。 


戊辰戦争の折、東征大総督府は江戸総攻撃を
3月15日と決定
し、続々と新政府軍は江戸に
入ってきました。

明治元(1868)年3月11日、西郷は江戸の池上本門寺
に入り、3月13日、高輪の薩摩屋敷において勝海舟
と約3年6ヶ月ぶりの再会


この日、西郷と勝の間では、江戸開城に関する重要
な交渉事は何もなく、明日もう一度、芝の田町の
薩摩屋敷で会うことを約束して別れます。

翌14日、勝は西郷の元を訪れました。
勝はその時のことを次のように語っています。

「いよいよ談判になると、西郷は、
おれのいうことを一々信用してくれ、
その間一点の疑念もはさまなかった。

「いろいろむつかしい議論もありましょうが、
私一身にかけてお引き受けします」

西郷のこの一言で江戸百万の生霊(人間)も、
その生命と財産を保つことができ、また徳川氏
もその滅亡を免れたのだ。

このとき、おれがことに感心したのは、
西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの
敬礼を失わず、

談判のときにも、終始坐を正して手を膝の上に
のせ、少しも戦勝者の威光でもって敗軍の将を
軽蔑するというような風が見えなかったことだ」

(勝海舟「氷川清話」)

勝の回顧談から、西郷はどんな人物に対しても、
礼を重んじ、丁寧に接することを心がけた人

あったことがうかがえます。

こういう仕事をした人だというよりも、こういう
人柄の人であった
という方が、いつまでも
人をひきつけるもの。

その人の品性の高尚さと、徳の高さが大事。

『敬天愛人』


西郷南洲翁こそは、まさしく天を敬い人を愛した
無為自然の巨人
でありました。






”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”