『単に英語を話せれば国際人になれるわけではない』
グローバルに開かれた社会において、様々な国の
人財が自らの実力を競いあう時代。
まさしく人財を育成する教育の質が問われています。
”日本人だろうと、アメリカ人だろうと、自分を育んで
くれた国の伝統・文化を身に付けていなければ、
「国際人」「グローバル人材」にはなれないのだ。
(中略)
私が提起したいのは「英語教育の是非論」ではなく、
日本人としての確固たるアイデンティを持った
グローバル人材を育てる教育を、一刻も早く始めて
ほしいということ。
そうでないと、今後の日本を創っていく次の世代は、
ほとんどがグローバル世界の「負け組」になって
しまうだろう。”
山田準)
以前読んだ、藤原正彦さんの「国家の品格」(新潮
新書)。
やみくもに英語を導入して、英語をペラペラ話すことが
できるというような意味での俗っぽい「国際人」養成
では真のグローバル人財とはならない。
やみくもに英語を導入して、英語をペラペラ話すことが
できるというような意味での俗っぽい「国際人」養成
では真のグローバル人財とはならない。
”日本の「本来」の姿を「情緒と形の文明」と規定する。
同時に、今日の日本は本分を見失い、ゆえに「品格」
が失われているとの認識を示す。
その原因は、国際化という名のアメリカ化にある。
アメリカ化とは、「論理」と「合理性」すなわち
近代合理主義の別名である。
そして、バブル崩壊後の日本社会を跋扈している
「改革」は「論理」と「合理性」にもとづくがゆえに、
日本社会の荒廃を食い止めることはできない。
いま「日本人」に必要なのは、論理よりも情緒、英語
教育よりも国語教育、民主主義よりも武士道精神
教育よりも国語教育、民主主義よりも武士道精神
である。
これらを再獲得することでしか、「日本人」は失われた
「品格」を取り戻すことができないであろう。”
日本の伝統や歴史を学び、古典を読み親しむことで
情緒や教養を養うことは大切なこと。
日本人が見失った貴重な財産である、情緒の文化、
自然への感受性、武士道精神を取り返すこと。
と、ここまで書きつつ一人の偉大な人物が脳裏に浮かび
います。
新渡戸稲造先生。
国際連盟事務次長を務め、著書「Bushido: The Soul of
Japan」(『武士道』)は、流麗な英文で書かれて、
世界で長年読み続けられています。
武士道では、知性とは道徳的感情に従うものであると
考えられています。知識とは、本来は知恵を得るための
手段であり、どんなに豊富な知識を持っていようとも、
それが自己の行動に結びついていなければ、何の意味
もないもの。
「読書は教養の源泉であり、読書なくして人格形成なし」
という本質があり、そしてまた「知ることと行うことは
本来合一である」という真理があります。
「サス学」という学びの場で、子どもたちに未来を生きる
力を教え導く立場として、このことを大事にしていきます。
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