「真面目ということの真の意味は、自分の
『真の面目』を発揮するということ」
「修身教授録」にある森信三先生の言葉。
『真の面目』を発揮するということ」
「修身教授録」にある森信三先生の言葉。
「真面目」という言葉は、良い意味と悪い意味
両方のシチュエーションで使われ、複数の
ニュアンスが含まれている事が多いと思います。
<良い方の意味>
・物事を真面目にやる
・ふざけない
・誠実・懸命など
<悪い方の意味>
・頑固・融通が利かない
・冗談を言わない。
・不器用。など
それだけ色々な意味を内包した言葉なのですね。
辞書で調べると、「真剣であること、本気であること、
誠意のこもっていること、誠実であること」とあります。
ある方は真面目についてこう言っていました。
”子供の真面目さと大人の真面目さは違う。
子供の真面目は与えられたことに対して
ただ真剣に考えて行動するだけ。
大人の真面目は自分の人生を見つめて
真正面から向き合って行動していくこと。
時には常識から外れていることでも
正しいと感じたらそれをやってのける。”
冒頭に紹介した、森信三先生の言葉。
「真面目ということの真の意味は、
自分の 「真の面目」を発揮するということ」
真と面の間に、“の”を入れて「真の面目」と読む
と、真面目ということの本当の意味が、はっきり
わかります。
真の面目とは、つまり「真の自己」のこと。
わかりやすく言えば、その人の生来の素質
が生き生きとあらわれている様子。
「真面目」=「真の面目」=「真価」
そうだとすれば、真価を発揮することは、
けっして自分に不自由を強いることでも
なければ、人生を楽しめないことでもない
のですね。
「真面目になれるほど、自信力の出る事はない。
真面目になれるほど、腰が据る事はない。
真面目になれるほど、精神の存在を自覚する
事はない。
真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。
人間全体が活動する意味だよ。
あなたははらの底から真面目ですか。」
(夏目漱石「虞美人草」)
同じく漱石が書いた「こころ」の中で、
「あなたははらの底から真面目ですか?
もし私の命が真面目なものなら、
私の今いった事も真面目です」
という先生と私のやりとりがあります。
漱石の言う「真面目」とは、
人間が本当に人間らしくあることの要と
なるものと言ってもいいのでしょう。
本気で考え、力を出し切る。
胸を張れるほどの、腹がすわるほどの、
本気に気づくほどの真面目さを
あなたは発揮したことがありますか?
自分の道へ真面目に向かう妻を見ていて、
私はまだまだ足りないなと反省させられます。
「真面目」に、主体的に動きましょう。
真の面目を発揮するように。
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