「何ごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる」
伊勢神宮の緑に覆われた参道を、
話をせずにただ歩いているだけで
自然と気持ちが静まって落ち着く心地よさ。
「生い茂る樹々の葉のこすれる音や
時折聞こえる鳥の声、
自分が踏みしめる玉砂利の音
といった自然の音や、
時に神楽殿のほうから聞こえてくる
笛の音に耳を澄ませると、
静かで気持ちのよい空間に
自分が包まれているように感じます」
かたじけなさに涙こぼるる」
伊勢神宮の緑に覆われた参道を、
話をせずにただ歩いているだけで
自然と気持ちが静まって落ち着く心地よさ。
「生い茂る樹々の葉のこすれる音や
時折聞こえる鳥の声、
自分が踏みしめる玉砂利の音
といった自然の音や、
時に神楽殿のほうから聞こえてくる
笛の音に耳を澄ませると、
静かで気持ちのよい空間に
自分が包まれているように感じます」
「伊勢神宮 常若(とこわか)の聖地」の著者、
千種清美さんが言うように、2000年以上の
歴史がある厳粛で神聖な場所でありながら、
神宮内を歩いていると不思議と
大変穏やかな気持ちを覚えることができます。
先日大変有り難くも参加させていただいた
「御白石持行事」。
宮川より地元の神領民の方々が拾い集めた
「御白石」を奉曳車・木そりに乗せ、
沿道を練り進みました。
内宮の御神域に入ってからは、渡して頂いた
「御白石」を白布に包んで、遷宮後は
立ち入ることの出来ない新宮の御垣内に立つ、
真新しい御正殿の近くに進み、「御白石」を
奉献致しました。
「何ごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる」
と詠んだ、西行法師の御心境に通じる
有り難い気が深く感じられ、立ち去り難い
思いを持ちました。
伊勢の人々は昔から、御白石持行事に
参加することは「一門の光栄、一町の特権」
と喜んだそうです。
お木曳の場合と同様に、白石音頭や道歌を
歌いながら二見浦に浜参宮し、奉納が無事
終われば町内揃って内外両宮にお礼参りを
したといいます。
1300年の長きにわたり、継続してきた
式年遷宮。
式年遷宮は内宮、外宮をはじめ14の別宮
すべてで社殿を新しくする造営と、
約1500点を数える御装束神宝調製を含む
大事業であり、今回の総費用は550億円に
のぼるそうです。
第2次世界大戦以前は国家予算で賄われて
いたのが、終戦後は神道指令により国家を
離れて、この大事業が行われ、第59回(昭和
28年)からは民による遷宮、つまり、人々の
募財によって遷宮は行われています。
参拝者数の集計を始めた明治28年から、
これまでで最も多かったのは第60回式年遷宮
の昭和48年で、859万人。
それが今回は式年遷宮の8年前、遷宮諸祭の
最初の祭事、山口祭が始まる平成17年あたりから、
参拝者数が早くも増え始め、内宮の宇治橋が
架け替えられた翌年の平成22年には過去最高の
882万人を記録。
平成23年は東日本大震災の影響により
788万人に減少したのが、翌24年には
14万5000人増の803万人に回復。
遷宮の今年度は、出雲大社の60年ぶりの御遷宮とも
重なり、注目はうなぎのぼりで1月から6月までの
上半期ですでに600万人を数え、年間1000万人に
のぼると想定されています。
リーマンショックという世界的な金融危機、
東日本大震災、それに続く福島原発事故という
未曾有の災禍に見舞われた近年の日本。
この時代背景の中で、人々は旧来の価値観に
疑問を感じ、人知を超えた目に見えない力への
畏敬の念から、日本古来の自然への信仰を
取り戻してきたのではないでしょうか。
20年に一度の式年遷宮により「常若」の精神が
根付く伊勢神宮、同じく60年に一度の式年遷宮を
迎えた「再生」の出雲大社は、人々の心の
大きな拠り所となるパワースポットであると思います。
昨日の太陽は今日の太陽ではなく、年の初めの
太陽は、さらに新しい初日として誕生します。
冬至には光が弱くなるものの、太陽が死ぬことはない
という太陽信仰。
「一陽来復」また蘇るというのが、古来からの日本人
の考えであり、神道の信仰でした。
その天照大神を祭る御殿の式年遷宮は当然、
太陽の生命更新の思想に密接にかかわっていたに
違いないと思います。
繰り返し再生することにより、いつも変わらない姿で、
瑞々しいままに「永遠」をめざす。
神宮の「常若」の思いと祈り、先人の英知を式年遷宮
は象徴しているのですね。
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