権力を持たず、常に国民の生活に心を配り、
国民の為に祈る我が国の天皇は、西洋の
絶対君主とは全く異なるものです。
天皇陛下は国民のことを「大御宝・おおみたから」
と申され、千年以上も昔から祭祀を通して
「国平らかに民安かれ」と公正無私の祈りを
続けておられます。
国民の為に祈る我が国の天皇は、西洋の
絶対君主とは全く異なるものです。
天皇陛下は国民のことを「大御宝・おおみたから」
と申され、千年以上も昔から祭祀を通して
「国平らかに民安かれ」と公正無私の祈りを
続けておられます。
天皇の存在は世界に類のない我が国柄の表象で
あって、その根幹に大きな安定感を与えています。
先日の週刊朝日の記事に、天皇、皇后両陛下の
国民を思いやる大御心を感じられる記事がありました。
ここに転載いたします。
「天皇、皇后両陛下は7月4日、5日、復興状況の
視察とお見舞いに岩手県の被災地を訪れた。
5日は朝から大船渡市の工場を視察されたが、
あいにくの雨。
両陛下は、従業員全員が屋外に整列して見守る中、
工場入り口で御料車を降りられた。
その際、宮内庁職員が、いつもお使いの黒い大きな
雨傘を差し出したが、受け取らず、小声で何か
指示を出された。
『すると、職員は急いで車から透明のビニール傘を
取り出しました。
両陛下はそれをさして、出迎えた従業員に
手を振られました。
雨の中待っていた人たちに、お顔がよく見えるように、
というご配慮だったんでしょうね』
(同行した記者)
この後、両陛下は1500人を超える死者が出た
隣接する陸前高田市へ。
「奇跡の一本松」をご覧になった後、職員の3分の1
が亡くなった市役所を訪問した。
ここでも土砂降りの中、100人以上の被災者が
両陛下を一目見ようと、1時間近く待っていた。
『ここでも、天皇陛下はビニール傘をさされました。
お二人は相合い傘で、手を振って被災者にこたえ、
腕を組んで、庁舎の中に入られました。』
天皇、皇后両陛下と、不釣り合いなビニール傘。
初登場は2010年に神奈川県であった全国植樹祭
でのこと。
天皇陛下は雨の中、植樹をされることになったが、
県の関係者が、メディアなどが撮影しやすいよう
ビニール傘を急きょ、両陛下に差し出した。
『実は、皇后さまは以前から遠くからもお顔がよく
見えるビニール傘に大変関心を持っていらっしゃった。
欧州王室ではファッショナブルなビニール傘を
お使いなのを、ご存じだったようです』(宮内庁関係者)
植樹祭で念願のビニール傘と「出会われた」皇后さまは
側近にご相談。
この高級ビニール傘の製造業者「ホワイトローズ」
(東京都台東区)に話が持ち込まれることになる。
『安くて便利、でも壊れにくいとされるビニール傘ですが、
選挙演説などの場合は、折れたりするのは縁起でもない。
こうしたニーズにこたえるため、グラスファイバーを
骨に使ったビニール3枚重ねの5250円の高級ビニール傘
を開発しました。
両陛下がお使いのものはこれを改良し、実は骨に
沿って小さな穴が開いていて、風が吹いても
うまくぬける工夫をしてあります。
安全で壊れづらいのです』(須藤宰社長)
両陛下が透明ビニール傘を使われるようになった理由、
それは両陛下を一目見たいと長時間待ち続けていた
国民に、雨天であってもその姿が見えるようにという
優しい御心からくるものでありました。
天皇皇后両陛下が常に国民の前でお示し下さっている
たたずまいは、清潔、慎ましさ、控え目、ありのまま、
飾りのなさ、正直、作為のなさ、無理をしないこと、等々の
日本人が最も好む美徳の数々、一語でいえば「清明心」
という言葉に表されるでしょう。
昭和49年5月、フランスの歴史的偉人、アンドレ・マルローが、
出光佐三氏(出光興産の創業者)をその美術館に訪ねたとき
のことです。
『日本人は精神の高貴さを持っています。
なぜですか。
仏教も、その理由の一つではないでしょうか』
単刀直入のマルローの問いに、間髪容れず出光翁は
こう答えます。
『そうじゃありませんね。
二千六百年続いてきた皇室が理由です』
天皇皇后両陛下が、東日本大震災の地で畳なわる
瓦礫に向かって黙祷を捧げられるお姿に、多くの国民
は勇気づけられました。
日本の精神的中心に、このような慈悲深い御心を
お持ちである天皇・皇后両陛下を戴いていることは、
真に有り難いこと。
21世紀の人類全体にとっても指標とすべき精神の頂
に思えます。
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