奈良・興福寺の創建1300年を記念し、2009年に東京国立博物館で
開かれた「国宝・阿修羅展」
(現存6体、国宝)が初めて寺外でそろって公開されるなど、
天平彫刻の至宝が一堂に展示されるとして話題になりました。
少女とも少年ともとれる姿と愁いと喜びを併せ持つ表情の清らかさを、
少年時代目にして以来、私は阿修羅という存在に不思議と惹かれるもの
がありました。
数年前のこのイベントをなぜ思い出しかというと、米テキサス大学の
科学者らが、これまで確認されている中で最も古い131億年前の銀河を
発見したことを、科学誌「ネイチャー」で発表したのを知ったからです。
この銀河は、宇宙が誕生したビッグバンから7億年後にできたといいます。
そのとてつもなく深遠な時の流れを想像するにあたり、ある一冊の名作
が脳裏に浮かびました。
出会ったのは小学6年の時で、以来その世界観に強く影響を受けてきました。
SF界の巨星、光瀬龍氏が詩情豊かに、時の流れの膨大さと非情さ、
その中での人間の営みを謳いあげた名作であり、萩尾望都氏により漫画化も
され、強く惹かれ続ける一冊です。
「寄せては返し 寄せては返し 返しては寄せる波」
という独特の静謐さと淋しさを湛えた文体は、静かに深く心に沁みこみ、
読後に本を閉じた後の気持ちは、何とも言い表しようのない物悲しさ、
透明な悲哀といった寂寥の思いに陥ります。
人類の永遠の命題である、「人はどこから来てどこへ行くのか」「生きるとは何か」
「彼岸と此岸とは」を問いかける内容に、初めて対した12歳の私は
以来その問いに真剣に向かい続けました。今は懐かしい思い出。
亡くなられた中島梓さんは、この作品を表す言葉は「無常感」であると
いいました。
”破滅と永遠と、そして喪失の、悲しく、透明な、しかしどこかしら不思議に甘く快い静寂をたたえている、世界でいちばん美しく、悲しい
SF小説のひとつ”
永遠に続けているというものがあります。光瀬氏は、興福寺の阿修羅像は
戦いの虚無の中で「なぜ」と自らに問いかけているのだといいました。
”『神と戦うのか。』
『おお、そうとも。私は相手がなに者であろうと戦ってやる。
このわたしの住む世界を滅ぼそうとする者があるのなら それが神で
あろうと戦ってやる!』 ”
「百億の昼と千億の夜」に登場する、”あしゅらおう”は、”シ”(死)と
いう、生命が、時間が、必ず出会う運命の存在である敵と戦います。
『彼らは彼岸に住む超越者だ』
『彼岸とは・・・・またはるかな言葉だな それはこの世の者にはたどり着けぬ宇宙の果てか』
『阿修羅、宇宙の果てとはなんだ』
『宇宙の膨張速度が高速に達した所に果てがある・・・・その時、宇宙全体の質量のため
空間が閉ざされ、一個の球体の内部を構成する・・・・』
『では阿修羅、その球の外とは?閉ざされた内部ということは、さらに外があるということだ、しかも無限に。こう考えてくれ、阿修羅。時もまた同じ。この内の世界では二千億年の昔
原初の時点から時は流れ始め二千億年のかなたでやむ。しかし、それすら外の世界の無限の
広がりに比べれば 超時間のほんの切片だ・・・・』
『・・・・阿修羅よ・・・・すべての時にも、人の心にも願いは常にあった
深い海から生まれた生命にも滅びゆく都市にも この宇宙にも
願いとは・・・・ 何だったのだろうか?
われわれの・・・・存在の意味とは?
この世界の外に さらに大きな世界の変転がありさらにその世界の外に世界が
そしてまたその外にも さらに永遠に世界がつづくのならわたしの戦いは いつ終わるのだ・・・・?』
『すでに還る道は無い また新たなる百億と千億の日々が始まる』
無常と久遠という壮大な世界を、宙空にかかげた三対の腕に抱く阿修羅像。
いつの日かゆっくり対面したいと願っています。
ギリシャの哲学者プラトンはアトランティス王国の文書を求め、旅に出る。
旅先のエルカシアでプラトンは太陽のような灯り(タウブ)、高度な調味料を
使った食材、グラウス(ガラス)と今までに見たことのない高度な技術を
持った文明に出会う。プラトンは、エルカシアの宗主にアトランティスがなぜ滅んだのかを尋ねる。
宗主は「その問いはあなた自身で見つけることになる」との謎の言葉を残す。
プラトンはその地で横になり、目が覚めると自分がアトランティスの司政官
オリオナエであることを自覚する。
オリオナエは国王アトラス7世、先王ポセイドニス5世から王国のアトランタ
地方への移動を強く求められていたことに苦しんでいた。
しかし、2人は惑星開発委員会の要請に基づくものであるとして強く移動を迫る。王国は移動を試みるも失敗し大惨事に襲われ、王国の繁栄は一夜にして崩壊する。
体調を取り戻したプラトンは西北の地TOVATSUEへ向うという。
これが時を超えたはるかなる旅の始まりとなる。
シッタータ(釈迦)は釈迦国の太子であったが世の無常を感じて出家し、
トバツ市にて梵天王から破滅の相を聞かされる。
疑問を抱いた彼は阿修羅王と会うことを決意する。一方、ナザレのイエスはゴルゴダの奇蹟の後、大天使ミカエルにより
地球の惑星管理員に任命される。
“シ”の命を受けたという惑星開発委員会の真意とは?弥勒の救済計画とは何か、様々な謎が彼らの前に立ちはだかる。
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