『寒月や思惟の仏の指の先』水上博子作
外に出ると、晴天の中冷たい北風が吹いています。以前、「季語刻々」(毎日新聞)にあった水上さんの句から「弥勒菩薩半跏思惟像」を思いました。
『慈悲の権化である。人間心奥の慈悲の願望が、その求むるところを結晶せしめたものである』(和辻哲郎談)
外に出ると、晴天の中冷たい北風が吹いています。以前、「季語刻々」(毎日新聞)にあった水上さんの句から「弥勒菩薩半跏思惟像」を思いました。
『慈悲の権化である。人間心奥の慈悲の願望が、その求むるところを結晶せしめたものである』(和辻哲郎談)
カール・ヤスパースはこの像を見て、『私はこれまでに古代ギリシャの神々の彫像も
見たし、ローマ時代に作られた多くの優れた彫刻も見てきた。だが、今日まで何十年かの哲学者としての生涯の中で、これほど人間の本当の平和な姿を具現した芸術品を見たことはなかった』と言いました。
明治維新後の廃仏毀釈で、広隆寺は見る影もなく荒れ果て、乞食の住処となっていた時期が
あります。多くの仏像が傷み、明治中期に修復されて今に至り、外国に持ち去られたり、薪にされなかったことは不幸中の幸いです。
見たし、ローマ時代に作られた多くの優れた彫刻も見てきた。だが、今日まで何十年かの哲学者としての生涯の中で、これほど人間の本当の平和な姿を具現した芸術品を見たことはなかった』と言いました。
明治維新後の廃仏毀釈で、広隆寺は見る影もなく荒れ果て、乞食の住処となっていた時期が
あります。多くの仏像が傷み、明治中期に修復されて今に至り、外国に持ち去られたり、薪にされなかったことは不幸中の幸いです。
『深い瞑想の姿である。半眼の眼差は夢見るように前方にむけられていた。ややうつむき加減に腰かけて右足を左の膝の上にのせ、さらにそれをしずかに抑えるごとく左手がその上におかれているが、このきっちりと締った安定感が我々の心を一挙に鎮めてくれる。
厳しい法則を柔らかい線で表現した技巧の見事さにも驚いた。右腕の方はゆるやかにまげて、指先は軽く頬にふれている。指の一つ一つが花弁のごとく繊細であるが、手全体はふっくらして豊かな感じにあふれていた。
そして頬に浮ぶ微笑は指先がふれた刹那おのずから湧き出たように自然そのものであった。
飛鳥時代の生んだもっとも美しい思惟の姿といわれる。五尺二寸の像のすべてが比類なき柔らかい線でできあがっているけれど、弱弱しいところは微塵もない。
指のそりかえった頑丈な足をみると、生存を歓喜しつつ大地をかけ廻った古代の娘を
彷彿せしめる。その瞑想と微笑はいかなる苦衷の痕跡もなかった。』
(「大和古寺風物誌」・思惟の像 亀井勝一郎)
釈迦の入滅後、五十六億七千万年後に現世へ現れて、庶民を救済するという弥勒菩薩。我が家の廊下にあるこの菩薩の写真を見る度に、立ち止まらせてくれます。それは、日本人の失いかけた心の眼を開かせる古の微笑と艶やかな細い指先を通して発せられる「たましいのほほえみ」です。
厳しい法則を柔らかい線で表現した技巧の見事さにも驚いた。右腕の方はゆるやかにまげて、指先は軽く頬にふれている。指の一つ一つが花弁のごとく繊細であるが、手全体はふっくらして豊かな感じにあふれていた。
そして頬に浮ぶ微笑は指先がふれた刹那おのずから湧き出たように自然そのものであった。
飛鳥時代の生んだもっとも美しい思惟の姿といわれる。五尺二寸の像のすべてが比類なき柔らかい線でできあがっているけれど、弱弱しいところは微塵もない。
指のそりかえった頑丈な足をみると、生存を歓喜しつつ大地をかけ廻った古代の娘を
彷彿せしめる。その瞑想と微笑はいかなる苦衷の痕跡もなかった。』
(「大和古寺風物誌」・思惟の像 亀井勝一郎)
釈迦の入滅後、五十六億七千万年後に現世へ現れて、庶民を救済するという弥勒菩薩。我が家の廊下にあるこの菩薩の写真を見る度に、立ち止まらせてくれます。それは、日本人の失いかけた心の眼を開かせる古の微笑と艶やかな細い指先を通して発せられる「たましいのほほえみ」です。
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