”白洲、内ケ崎、平井…。
創業メンバーたちが残したDNAを受け継ぐ東北電力は、
福島第一原発事故以来、すっかり定着した感のある
「電力会社と言えば悪者だ」という偏見に怯むことなく、
未曾有の被害を与えた東日本大震災からの復興という
闘いを闘い抜いた。
バブル経済の崩壊以降、多くの会社が失ったものが、
この会社には脈々と息づいている”
創業メンバーたちが残したDNAを受け継ぐ東北電力は、
福島第一原発事故以来、すっかり定着した感のある
「電力会社と言えば悪者だ」という偏見に怯むことなく、
未曾有の被害を与えた東日本大震災からの復興という
闘いを闘い抜いた。
バブル経済の崩壊以降、多くの会社が失ったものが、
この会社には脈々と息づいている”
日経ビジネスオンライン「白洲次郎が東北電力に
残したもの」
白洲次郎が時を超えて、東日本大震災から女川
原子力発電所を守り抜くことに貢献したという
つながりを知りました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140306/260652/?P=1
3.11の東日本大震災で東北電力の女川原発が、
福島第一原発より震源の近くにありながら、
深刻な事故を起こさなかったばかりか、3カ月あまり
にわたって300人を超す周辺住民の避難所の
役割を果たしたという事実。
東日本大震災から3年にわたって取材を続けてきた
町田徹氏の「ニュースの深層」では、事故を防いだ
理由を次のように挙げています。
「技術的な意味で言えば、すぐに解明できた秘密は
いくつもあった。
第一に、設計段階で巨大津波を想定して女川原発
の立地を高台にしたことや、2号機、3号機と増設の
たびに慎重に調査を繰り返し、最新の知見を
取り入れて津波対策を強化してきたことがあげられる。
第二に、中越、中越沖地震といった他の地域を
襲った地震の経験を疎かにせず、想定を超える
揺れに備えて6000カ所に及ぶ補強をしていたことだ。
さらには、聞くだけでうんざりするほどの防災訓練を
日頃から繰り返してきたことがあげられる。」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38544
史上最悪の原子力事故を起こし、国策救済を受けた
東京電力とは対極の行動を繰り返していた東北電力。
「比較的被害の少なかった新潟支店管内の営業所
は、仙台地区の停電の早期解消のため、被災から
1時間も経たない段階で、数百人規模の復旧支援
部隊を送り出していた。
そうした努力は枚挙に暇がなく、東北電力は、
東京電力管内を上回る466万件もの停電に直面
しながら、わずか3日間で8割を解消してみせた。」
「一方で、どんなに理不尽でも、政府の方針に口を
挟むことはなかった。
被災していない関西電力が供給力に不安があると
主張して大飯原発の再稼働に漕ぎ着けたのに対し
、被災地で電力供給が綱渡り状態の東北電力が、
無傷で震災を切り抜けた東通原発の再稼働を
要求しなかったのだ。」
「結果として、東北電力の台所は火の車になった。
それでも、最後まで値上げを回避しようとした。
会社として、被災した人々のくらしや経済の復旧・
復興の足かせになりたくなかったからだ。
最終的に値上げに踏み切ったのは、大手で最後、
東京電力の値上げから2年遅れてのことだった。」
一連の動きは、水道、ガス、通信、鉄道などライフ
ライン(命綱)をつかさどる公益企業の中でも、
東北電力がずば抜けて強い使命感や特別な
矜持をもっていることを如実に物語っています。
東北電力の源流は、戊辰戦争以来、みちのくの
殖産興業を後回しにしてきた政府が、
2・26事件を機に罪滅ぼしのために創設した
「東北振興電力」という国策会社にあります。
当時の定款は、東北振興電力に、貧しい東北の
振興の礎になることを義務付けており、東北の
人々との共存共栄を最優先するよう運命づけていました。
日中戦争から太平洋戦争に続く時代、経済の
軍事統制によって東北振興電力はいったん消滅
しますが、戦後の電力再編で東北電力と社名を
変えて復活します。
身をもって「東北の礎」「共存共栄」を会社のDNA
(遺伝子)として確立した創業メンバーの中には、
「マッカ―サー元帥と闘った男」として知られる
初代貿易庁(現経産省)長官の白洲次郎(会長)、
東北の労働争議を鎮めた「和の経営者」内ケ崎
贇五郎(社長)、時を超えて女川原発の事故回避の
功労者となる平井弥之助(初代常務取締役建設
局長兼土木部長)らがいます。
創業メンバーたちは、東北の戦後復興に不可欠
だった水力発電所建設用地を求めて、東京電力と
法廷闘争を繰り広げました。
そして、福島県民のサポートによって勝利を収めます。
この過程で、「東北の礎」「共存共栄」という会社の
DNAは動かし難いものになっていきました。
自社の営業エリアの外に、原発を取得している東京
電力との安全に関する対照的なスタンスは、
こうしたDNAの違いから生じていることがよくわかります。
深刻な原子力事故を起こした福島第一原発と対照的
な堅牢さを誇り、誠実に安全対策に取り組み、
住民の避難所の役割まで果たした女川原発こそ、
東北電力の初代会長を務めた白洲が創業の仲間と
ともに埋め込んだ遺伝子(DNA)の結晶のひとつなの
ですね。
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