この3連休、家族で妙高に行きスキーを楽しみました。
北長野との境に位置する妙高は、まだ雪濃く、
春の訪れはおそらく5月頃ではと思われる雪量。
北長野との境に位置する妙高は、まだ雪濃く、
春の訪れはおそらく5月頃ではと思われる雪量。
越後と言えば、やはり上杉謙信の国を想います。
「義」に生きるという志を持って生きた謙信や
直江兼続。その人物の器量と誇りが、こちらの
感情を揺さぶります。
小学に入ってから歴史に興味を持つようになった
息子は、今では暇さえあれば日本の歴史本を
開くようになりました。昨年は歴史検定の準三級
に合格。
そんな姿にかつての自分を思い出します。
勉強らしい勉強をせずにいた自分は、歴史の本が
大好きでひたすら読みまくっていました。
おかげで、高3の時に受けた全国模試で日本史5位
の成績をとれたのは、学校の勉強をほとんどせずに
試験ではよい思い出がなかった中での心地よい
思い出。
息子が繰り出してくる、さまざまな質問に触発され気味
の私は、戦国期15世紀後半からの日本全国で群雄が
割拠し、抗争が繰り広げられた時代に、あらためて
興味を持ち、以前読んだ本を読み返す日日。
その中で、隆慶一郎氏の作品に惹かれています。
89年に逝去されてから後に読んだ作品ですが、
どの作品にも共通して感じられるのが、主人公が
生涯において発している強烈なエネルギーと、美しく
生を生き抜いていること。
人生のさまざまな濃淡を知っている作者であるから
こそ描ける主人公の明るく清々しく烈しい生き様です。
先日読んだ氏の随筆の一編にこうありました。
「戦国期の終わりから江戸初期にかけてを題材にする
仕事がほとんどなので、その頃の史料を読む機会が
多いのだが、 当時の男たちの生命の軽さに驚くこと
がある。
些細なことで誠に無造作に死んで行く。
そのくせ、それなりの感銘を後世に遺すのは、大方
の男どもの死が己の誇りのためだったからのようだ。
誇りといっても千差万別で、馬鹿げた見栄の場合も
多いのだから、死んだ本人は「阿呆らし」の一言で
葬り去られても仕方ないのだが、死んだ本人は
おそらくそんなことは百も承知の上のことであり、
それでも死んでしまったとなれば、これは「阿呆らし」で
すむ問題ではなくなるように思われる。
大体僕は「一人の人間の生命は地球より重い」などと
いう言葉が嫌いである。
この言葉ほど人間の思い上がりを示すものはない。
まるで地球は人間の持ち物だと言わんばかりでは
ないか。冗談ではない。
地球上には人間以外の動物も植物もいる。
彼等から見れば、人間は正に天敵以外の何物でも
あるまい。恐竜のように早く絶滅してほしい種族で
あろう。
少なくともその視野あるいはすまなさを持たぬ人間は、
僕には破廉恥に見えて仕方がない。
ましてや人間を人間たらしめている条件であり誇りの念
を持たず、いたずらな長命を求める人種は醜悪な貪欲
の塊のように思える。
長生きは決して美徳ではない。』
物に溢れ飽食に飽きた現代日本に生きる私たちには、
いささか耳に痛い言葉。
しかし本質をよく突いた言葉。
『棺を蔽うて後、はじめて定まる』
「志を立て、それに殉じた」という潔い生き方をしてきた
先人たちの誇りが、こちらの生き方に訴えかけてきます。
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