『POPEYEのライフスタイル』

昨年、ネクスファの「サス学」で子どもたちに、
”ライフデザイン”を教えたことから、
自分自身の半生を過ごした中で、
とりわけ1970年代後半から1980年代を
振り返る
ことが多くなりました。


子どもの殻を脱ぎ捨てて、新しい型を身に
つけようとしていた時代


そんな自分に強く影響を与えたのが
「POPEYE ポパイ」

1976年に創刊
されるや、若者たちから圧倒的
な支持を受けた、日本で最初の「ライフ・
スタイル・マガジン」


”平凡出版(現マガジンハウス)より、
「Magazine for City Boys」というサブタイトル
で創刊。

創刊当時は、これまでの男性ファッション誌
にはなかった切り口で、当時の男性誌の世界
を一新する、新たな世界観を10代後半から
20代前半の若者に植え付けた雑誌として
瞬く間に人気を博した”


初期の「POPEYE」が紹介したのは、アメリカで
当時台頭し始めた消費者社会=「ライフスタイル」


60年代の反体制やヒッピー
たちが生んだ文化
は、70年代になって洗練され、商品となって
広まります。

環境保護運動、菜食主義、瞑想・ヨガなどは、
70年代に富裕層、中流層の間でブーム化
しました。


「POPEYE」創刊時の編集企画目標には、
こうあります。

「都会で生活する日本の若者が、どうしたら、
ハッピーなものになるか、生きていることが
楽しくなるか」


1970年代後半のアメリカ西海岸のスタイル
を日本に初めて紹介し、『気分は○○』、
『スグレモノ』、『○○大好き少年!』
など、
この雑誌から生まれた言葉は数多くあります。

「知っていること」が重要だった
この時代。

現代のように自ら気づかず「情報」の波を
浴びている状態ではなく、「情報」は自ら
探さなければ得ることができない貴重なもの
だった時代。

「POPEYE」には、その雑誌名をもじった
「POP*EYE」というショートコラムのコーナー
が毎号掲載されていました。

テキスト数の短さとジャーナリスティックな
メディアが決して扱わぬ軽薄な情報を
取り上げるお手軽さは現在のtwitterを連想
させるものがあります。


中高生の頃、このコラムの小さな文字を一つも
見落とさないように
何度も読み返し、見たことの
ない米国の西海岸の光景やUCLAの学生たち、
そのライフスタイル
などに憧れを持ちました。

後追い・実用型の他社雑誌
提案・創造型の
「POPEYE」
を真似た切り口で、より身近で
手に入りやすいものを取り上げるようになります。

その後、1980年代後半から「POPEYE」の誌面
は変化していき、創刊時の「モノを通してアメリカ
の「ライフ」を伝える雑誌から、「ガールフレンド
とのコミュニケーションを伝授する」実用的雑誌
なっていきます。

それから私は「POPEYE」を購入することは
なくなりました。

そして90年代バブルが崩壊し、ゴージャスな
デートが流行らなくなり、デートマニュアルは
消えて
いきます。

広告の手法は変わり、記事広告、タイアップ
と呼ばれる広告が急速に雑誌の中で増えて
いきました。


「POPEYE」創刊号
には、”みんなで創る雑誌
―だからポパイが登場”
というタイトルで、
以下が宣言されました。

「むずかしい話はとにかくとして、いま日本は、
いろいろな意味で漂流状況にあるのだそうです。

いったい何をすればいいのか、どっちを向いて
歩いたらいいのか・・・。
(略)
そこには反体制だのシラケだのという空疎な
ものは微塵もなく、実に健康的で具体的生活
があったのです。
(略)
この新しい雑誌は、すべての人間生活の原点
は「健康」であるということを軸にして、まったく
新しく楽しいライフ・スタイル・マガジンに
育ててゆこうと考えています。」


「POPEYE」は現代流にその都度アレンジ
されながら刊行し、現在も書店に並んでいる
よう
ですが、中身を知らないのであまり
語れません。

しかし創刊から40年近くになる中で、上記の
宣言は現在の本にそのまま使えそうなものと
感じます。

モノが単なる道具からその価値を脱し、光を
まばゆく放っていた70年代後半から80年代


モノからコトへ、いやそうではないモノとコトの
両方が大事だと世間がとやかく言う中で、
その時代を懐かしく思えます。


















”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”