『素晴らしい伝統をもった国に生まれて』

「神は人の敬によりて威を増し 
 人は神の徳によりて運を添う」


桜があでやかに花咲く地主神様の北星神社へ、
息子と共に月初のお参り。


数日前よりもさらに桜の花数が増えている境内
を通り、有り難いことにご本殿の扉が開いている
中、御祭神の天之御中主神様家族の日々の
健康と家内安全の感謝
を致しました。

天之御中主神
は、天の中心にいる神様であり、
古くからの名前は「北辰妙見尊星王」

古代から方角を知る基準だった北辰(北極星)と、
その周りを回る北斗七星を神格化した存在で、
導きの神であり、人間の運命や全方位の守り神
とされています。

「天地(あめつち)初めて発(ひら)くる時に、
高天原(たかまがはら)に成りませる神の名は、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」



天地の創成を語る古事記の冒頭で、
こう記されています。

八百万(やおよろず)の神の中で、最初に登場する
であるにもかかわらず、誕生してすぐに姿を隠し、
なぜかその後触れられることはありません。

続いて成ります高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
、神産巣日神(かむむすひのかみ)
が国造り、
国譲り神話で度々登場するのとは実に対照的です。

ところで毎年、宮中においては元旦早朝から「四方拝」
と呼ばれる神祭が斎行されることはご存知でしょうか? 

天皇陛下が斎主
となり、午前五時半に出御され、
皇大神宮( 伊勢内宮)、豊受大神宮(伊勢外宮)、四方
の天神地祇、 神武天皇山陵、先帝の山陵、諸神社(
氷川・石清水・賀茂・ 熱田・鹿島・香取)の順で礼拝

なされます。 


古くはまず初めに北天を拝され、ある秘詞を奏上されて
いたと聞きます。

厳冬のこの時期、天上に輝く北極星と北斗七星が見える
もので、北天神界に鎮まる造化三神(天之御中主神、
高御産巣日神、神産巣日神)を拝する
ものでした。

この四方拝の準備は午前三時頃から行われます。

薄着の装束で長時間に亘って正座のまま、
人類繁栄と国家安寧の祈念を続けられる
ため、厳寒
の空の下、足下から冷えてきて、次第に膝あたりの
感覚がなくなるという厳しい祭典だそうです。

皇后陛下は、天皇陛下の後姿を拝して、「旬祭」
題された御歌を詠まれました。

「神まつる 昔の手ぶり 守らむと 旬祭に発たす 
君をかしこむ」

皇室がいかに「仁」を大切にされているかを表わす
話が、昭和天皇にあります。 

昭和天皇は戦時中の昭和19年の暮れから、防空施設
としてつくられた御文庫に居住
しました。


元侍従長の入江相政氏によると、屋根には砂が盛られ、
湿っぽく、居住性の極めて悪い施設
だったそうです。
しかし昭和天皇は戦後もそこに住み続けました。

何回か新しい御所をつくることを進言申し上げたのです
が、「国民はまだ住居がゆきわたっていないようだ」
仰って断り続けました。

そして国民の生活水準が戦前をはるかに上回り、空前の
神武景気も過ぎた昭和36年11月に、昭和天皇はようやく
現在の吹上御所に
移りました。

新宮殿が創建されたのは、それよりさらに遅れて昭和43年
のことです。

この事実は昭和天皇の中に、歴代天皇の心境が生きて
いたことを示すものです。
そして、そのことは昭和天皇の次のお言葉でよくわかります。

「もっとも大切なことは天皇と国民の結びつきであり、
それは社会が変わっていっても、いきいきと保って
いかなければならない。

昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであり
、皇室もまた国民を我が子と考えられてきました。
それが皇室の伝統であります。」


私たちはこのような素晴らしい伝統をもった国に生まれている
のですね。












”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”