佐野藤右衛門さんは、当代きっての名桜守。
天保3年から続く造園業の16代目当主。
天保3年から続く造園業の16代目当主。
祖父の代から傷んだ桜の手当や名木の保存に尽力し、
「桜守」と呼ばれています。
私は以前放映された「こころの時代」で、藤右衛門さんの
半生を知り、その生き方や言葉に強く惹かれました。
人知れず力を蓄え、ほんの数日花を咲かせる桜。
京のシダレザクラで、この人の手に掛かったことがない桜は無い
といっても過言ではないそうです。
「病に苦しむ桜があれば、不眠不休で世話をし、接ぎ木が必要な
桜があれば、ふさわしい種を求めて全国を走り回り、真に桜を愛する人」
達人が桜に語りかける姿はさながら我が子に語りかける父親のよう。
その桜への愛は親から子へ子から孫へと「佐野藤右衛門」という
名跡とともに受け継がれています。
佐野さんは、現代において大切なことは、自然と語ることだと言います。
『今なあ、自然破壊やら地球温暖化防止やら、いろいろと声を上げて
おる人がようけおるやろ。それも大事や。
わしもだいぶ前から、自然がおかしくなってきとる、と思うてたんやから。
木を育てる仕事をやっとるとなあ。
けど、そうしたのは、人間やで。
人間が勝手に人間だけの都合で、ものを進めてきたからなんや。
もう人間は、自然との接し方がわからんようになってきてる。
というより、「人間は自然の一部」という基本を忘れてしもてんねん。
で、大上段に言葉だけで自然保護を叫ぶのはあかん、と思うんや。
そやのうて、わしらひとりひとりが、土と語り、水と語り、木と語っていく
ことが大切なんや。
それが自然を知ることや。』
大事なことは、身近な自然に直接ふれること。
ふれて、じっと観察をすると、自然の状態がよく見えてくる。
雑木林、田んぼ、野原、小川、など目の前にある身近な自然。
それは一見どこにでもある自然でありながら、実はそこにしかない
存在しない自然。
大小さまざまな生命が、この世界に生きていることがよくわかります。
人間は自然の一部だということがよくわかる。
桜の前では、決して難しい理屈は要らない。
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