『有才の人徳なければ人服さず、有徳者も才なければ事立たず』

今月行われた、ブラジル、ロシア、インド、中国、
南アフリカの新興5カ国(BRICS)首脳
会議
では、発展途上国支援の「BRICS新
開発銀行」設立が合意
されました。

欧米先進国は、戦後作り上げてきた国際金融
秩序への挑戦
と受けとめ、「欧米への対抗軸」
行動として警戒。

エネルギー、環境での今回の米中協力、BRICS
新開発銀行による対抗、など目まぐるしい場面場面
での握手や蹴り合いが続き、揺れ動く国際社会の中
で日本はいかに立ち振る舞うのか?


19世紀後半は、当時の欧米列強が互いに対立
反目しながら、植民地の獲得と、自国工業製品の
販路を他国に求める時代


インドは英国とポルトガルに蚕食され、現在のタイ
はポルトガル。ベトナムはフランス。スペインはフィリピン
を植民地
とします。中国はアヘン戦争の結果、香港
、マカオなどの割譲
を余儀なくされていました。

開国を迫られた日本は、国家としての存立を確保し、
植民地化を免れる路を模索する難しい局面
を迎えます。

列強による、日本の植民地化を目指すあの手この手
の画策
に対し、幕末から明治にかけての日本の先人
達は、賢くそれらに対応し、難局を乗り越えて
いきます。

列強による植民地争奪戦で、インド洋から東に独立を
保てた国は日本を除き皆無
先人の英知と奮闘努力
に大きな敬意
を表したいものです。

現代において、日本は目まぐるしく変わる利益の取合
の国際的な渦に巻き込まれるのでなく、先人たちの
賢さと毅然たる態度に学び、調和に力を尽くす
ことを
目指すのも一つのあり方だと思います。


”新政府につくか、会津藩につくか。

というどちらかしかないというのがこの時勢であり、
時勢の切迫であったが、しかし継之助はあくまで
も中立が存在しうると信じていた。

その中立を守るために、この小藩にすれば過重
なほどに新鋭武器を買い入れ、藩軍を洋式化し
、封建組織をあらためつつあった。”
(「峠」司馬遼太郎より)


幕末、新政府と徳川幕府が抗争し、国内の諸藩
「恭順」か「佐幕」かを迫られる中、「長岡藩」を
スイスのような永世中立国
に仕立て上げる構想を
練った、河井継之助に学ぶことができます。

「民を安ずるは恩威にあり。
無恩の威と無威の恩は、二つながら無益、
基本は公と明とにあり。

公けなれば人怨まず、明らかなれば人欺かず、
この心を以て、善と悪とを見分け、
賞と罰とを行ふときは、何事かならざるなし。

有才の人、徳なければ人服さず、有徳者も
才なければ事立たず」

司馬さんは「峠」のあとがき
で次のように書いています。

「幕末期に完成した武士という人間像は、日本人
がうみだした、多少奇形であるにしても、
その結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまで
いえるように思える」


”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”