『世界平和に奔走する清廉の法王』

南米出身初のローマ法王フランシスコ1世は、
トルコのイスタンブール旧市街にあるスルタン
アフメットモスク(通称ブルーモスク)をイスラム
指導者と共に訪れ、静かに祈り
をささげました。

就任以来、宗教間対話の重要性を訴えて
精力的に行動
している法王は、カトリックの
最高権威
として過激組織「イスラム国」の
キリスト教徒迫害などを念頭にイスラム教徒
との連帯を強調する狙い
があったようです。


















今年6月、中東のイスラム教スンニ派過激派
組織
シリアとイラクの一部を事実上支配下
に置いて、「イスラム国」の樹立を一方的に宣言。

「現在の国境は欧米から押し付けられたもの」
であり、これを打破しようとしている「イスラム国」。

1915年、メッカの太守フサイン・イブン・アリーと
イギリスのヘンリー・マクマホン
との間で、イギリス
は第一次大戦における対トルコ戦協力を条件に
アラブ全域をまたぐ大きなアラブ人居住地・
統一国家の独立支持を約束
します。

しかし、このフサイン・マクマホン協定は
守られません
でした。

イギリスは、オスマン=トルコ帝国と戦争を行う
に当たり、資金調達のため、ユダヤ人資産家
「ロスチャイルド家」に勝った場合イスラエル建国
を約束
します。

その一方でオスマン=トルコ支配下の中東諸国
には独立を約束
したのです。

そしてフランスとは中東諸国を分割して植民地化
するという、相反する3つの約束を結びました。

1916年イギリス、フランス、ロシアが主に植民地
支配権と資源利権の分配
を意図し、オスマン帝国
の領土分割案を決定して中東の国境を作った
「サイクス・ピコ協定」


サイクス・ピコ協定でフランスとイギリスによって
引かれた恣意的な国境線により、クルド人は
トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに
分断され、世界最大の国を持たない3000万人
の民族集団
が発生。
 



























結局、アラブ人に約束した、一個の大きなアラブ人
王国を作るという約束は反故
にされます。

宗派や民族の違いを無視した国境中東の混乱の
原因
になったものだとして、反欧米を掲げ、イスラエル
を含む中東の既存国を敵視するイスラム国

イスラム国はその脅威を拡げ台頭し、中東地域
や北アフリカは混乱
を続けています。

「アメリカが早い段階でシリアの内戦、反政府勢力の
穏健派に対して大きな支援、軍事的支援をしなかった
こと」
にあると、サウジアラビアのアブドラ国王
語っています。

イスラム教には大きく分けて「スンニ派」「シーア派」と
いう2つの宗派
があり、開祖であるムハンマド
(マホメット)没後の7世紀から、後継者争いで対立

続けてきました。

中東地域の歴史・文化は古くから欧米のそれとは
著しく異なって
おり、欧米流の自由や民主主義と
いった価値観を押し付けてきたことに対する反発
が、「イスラム国」のような過激活動を呼んだとも
いえなくないでしょう。

欧米では2001年の米中枢同時テロ以降、
嫌イスラム感情
が高まりました。
そこにイスラム教に対する誤解や偏見がある
ことは否定できません。
個人の心や生き方と深く関わる宗教は、旧来の
価値観を唱えるだけでなく、時代に適応するため
に不断の努力
も求められます。

フランシスコの名
は、愛と清貧の生き方を貫いた
12〜13世紀のイタリアの聖人
に由来すると
いいます。
かつてブエノスアイレスの大司教だった
フランシスコ1世は長年、貧困問題に取り組んで
きました。

また大司教の住居を拒んでアパートで暮らして
自炊し、移動は地下鉄やバスを利用する庶民派
でもありました。

穏健保守派とされるフランシスコ1世のますます
の活躍に期待します。

 


















Author:岸 和幸

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