『少年の心で、大人の財布で歩く』

「ある男が空港の片隅で、スーツケース上に腰かけて
蒼ざめているのでどうかしたのですかと声をかけたら、
オレは、この国に旅行に来たんだけれど、荷物と体は
着いたのに心がまだ着かない、それが追いついてくる
のを待っているんだ。」













開高健さん
が1989年12月に亡くなってから早26年。 

私の手元には、1981年版の「地球はグラスのふち
を回る」「フイッシュ・オン」
「野生の呼び声」が。
 
本屋で購入した当時、高校に上がったばかりの私
は、人間味
にすっかり夢中に

 
冒頭の文章、「旅は男の船であり、港である」の
中で、
地球は狭くなったと言われる分だけ、地球
は広がっている」
の言葉に、埼玉の都会と田舎の
狭間で暮らしていた高校生は、すっかりカルチャー
ショック
を受けてしまいました。

(カルチャーショック:異文化に見たり触れたりした
際、習慣・考え方・異文化の実像について、母国
文化の常識と大幅に掛け離れていたり、自身が
学校教育などで習得したその異文化に関する知識
・情報と乖離しているため、心理的にショックを受け
たり戸惑うこと


このうちの後者のような衝撃自分が未だ知らぬ
だけで実はこの世界は大きく広がっている
ことを
知らされ、その魅力に誘惑されたいと願った時。

確かに、世界は狭くなった。情報も氾濫している。
どこへも簡単に行けるし、日本の片隅でも世界の
ことがわかるような気もする。

けれど、依然としてフランス人はフランス人であり
つづけ、ヴェトナム人はヴェトナム人でありつづけ、
アメリカ人はアメリカ人でありつづける。

徹底的に固有なものの中で、みんな暮らしている。
その固有なものの頑固さ、根の深さに衝突すると、
その場所まで行くのが呆気なく行けるがために、
その呆気なさのためにかえって逆に、いよいよ根
が深く感じられるようになる。

だから、地球は狭くなったと言われる分だけ、地球
は広がっているんだとも言えるんじゃないか。」



















大学卒業後、自分の将来をさほど深くは考えて
いなかった私は、大学3年の終わりに友人と誘い合い
気軽に受けた適性検査の数字の高さから、卒業後
システムエンジニアの会社へ就職。

しかし、20世紀は未だ硬直的なデジタルの世界
感性の可能性への限界が肌身でわかる中、
振り子の反対にあるアナログ、とりわけ自然の山の
世界に身を置きたい衝動
が強くなり、時間があると
あちこちの山へ。

その後、屋久島での遭難未遂の体験から、一路
自然環境保全の道に踏み込んでいきます。アラスカ
やヨセミテの大自然と先住民たちとの交流
を持ち、
貴重な体験が幾度となくありました。

そこから様々な人々や組織とつながり、リコーの環境
本部で生物多様性の仕事を任され、森林生態系
保全プロジェクト
の責任者として、極東ロシアやガーナ
、ボルネオ、中国の雲南省
といった、普通では行くこと
が想像できない世界にふれることができた有難い時間。

「危機と遊びが男を男にする」
開高さんの言葉を思い出しては、未知の世界に
ふれる喜びと新しい土地に身を置く上での礼儀

大切にしました。

「心はうつろなまま文化と出会えないまま、そういう旅
をしてしまう危険は逆に多くなった。

これは、だめ。いかんな。新鮮な驚きが生まれてこない
もの。驚く心がなかったら、旅の意味はほとんどないもの
ね。別種の文化と接することとは、驚くことなんだ。

驚く心、見る目を持ちなさい。少年の心で、大人の
財布で歩きなさい。」


師匠C.W.ニコルさんの黒姫にある自宅で語らっていた
際の一言、「君がいま座っているその椅子は、かつて
開高さんが座っていたのだよ」


少年の心で、大人の財布で歩くのだ

すっかり忘れ呆けていた心に火を点けてくれるこの言葉、
息子が成人になった時伝えてやりたい。

 

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”