『開高健とアーネスト・ヘミングウェイ』

  「入ってきて人生と叫び、出ていって死と叫ぶ」
(開高健)

開高さんは、1930年大阪に生まれ、大阪市立大を
卒業後、寿屋(現サントリー)宣伝部で時代の
動向を的確にとらえた数々のコピーを世に発表。

















そのかたわら創作を始め、「裸の王様」で第38回
芥川賞(1957年下期)受賞
ベトナムの戦場や
、中国、東欧を精力的にルポ
し、ベトナム反戦運動
を行うなど、行動する作家として知られました。
1989年逝去。

「開高という男は、表面上豪快にふるまっていたが、
むしろ壊れやすいガラスのような感性を持ち、米国
の国民作家アーネスト・ヘミングウェイにも似て、
性格の根本に繊脆(せんぜい)なところがある」

(「佐治敬三と開高健 最強のふたり」北康利著)

生涯鬱病に悩まされ続けた開高健さん
天王寺高校で開高さんの後輩にあたる、北康利さん
”創作のスランプに陥った開高さんが、武田泰淳
氏のアドバイス「ルポを書きなさい」に一筋の光明を
見い出し、実際の戦場であるベトナムへ向かった”
といいます。

この時、開高さんが従軍した部隊は200名の大隊。
激しい戦闘に遭い、生き残ったのはわずか17名。


”それが「人間の本質を、生きることの意味を、もう
一度極限状況の中で見つめてみたい」という開高
さんがベトナムの戦場で体験したものでした。
そして小説という〝戦場〟で戦い抜いていきます。”


開高さんは生前、「戦争と文学」を語るで次のように
語りました。

”ヘミングウェイの言葉に、人が死ぬことさえなかった
ら戦争は最高のペイジェントだと言う大胆な発言が
ありますが、まさにその通りです。

しかし、人が死ぬからこそ戦争なのであって、これは
ひとつの逆説にすぎません。そして一回しか死ねない
し、死の瞬間は書き綴ることができないし、伝えよう
もないと。

もし戦場と言うものが伝えることができるのならば
戦争はとっくに終わっていて、二度と新しい戦争は
起こらなかったはずだと思いたいんですけれども、
何かしら人間の能力を超えたものがあって、伝える
ことができないでいる。

そのためにいつまでも戦争は起こり続ける、と言う
ことはいえると思います。”

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”