室町時代の軍記物語「太平記」には、正成公について
「智・仁・勇の三徳を備え、命をかけて善道を守るは、
古より今に至るまで正成ほどの者は未だいない」と刻んで
います。
鎌倉末期の日本は、元寇から半世紀が経ち、幕府には
恩賞を与えることができなく、権威は失墜している状態。
執権北条高時は、政治への興味をなくして遊興に浸る
日々。
元弘元年(1331年)、幕府打倒を目指した後醍醐
天皇による再挙兵。しかし、幕府軍の巨大な軍事力に
恐れをなして倒幕勢力に加わる者は少なかったそう。
この時、駆けつけた数少ない武将の一人に、正成公
(当時37歳)の姿がありました。
”鎌倉幕府末期には、執権を務める北条氏を中心と
した専制政治が強まり、荘園や交通物流の利権が、
幕府によって奪われ、脅かされていきます。さらに幕府
の微税権限も拡大されました。
これらは自らの土地に「リトル・ユートピア」を建設した
正成にとって、到底許せることではなかったでしょう。
そんな折、幕府政治のあり方に危機感を抱いた後醍
醐天皇が倒幕の兵を挙げます。
「民と直接結びつき、自らの手で政治を行なう」という
天皇の願いは、地域に根ざして生きてきた正成から
すれば、中間搾取ばかりにやっきとなる幕府のような
夾雑物を排除することを意味しました。
ある種の「自由な実力主義社会」への気運が巻き起
こり、正成のような実力者の目には、極めて魅力的に
映ったはずです。自分が作り上げたような「リトル・ユー
トピア」を全国に広げよう ―― あるいはそんな理想
を正成は胸に抱いたのかもしれません。”
(『楠木正成「痛快無比の英雄」の魅力』)
こり、正成のような実力者の目には、極めて魅力的に
映ったはずです。自分が作り上げたような「リトル・ユー
トピア」を全国に広げよう ―― あるいはそんな理想
を正成は胸に抱いたのかもしれません。”
(『楠木正成「痛快無比の英雄」の魅力』)
天皇に謁見し、戦への意見を求められた正成公は
次のように答えたといいます。
「武芸に勝る関東武士に正攻法で挑んでも勝ち目
はありません。しかし、知謀を尽くして策略を巡らせば
勝機も出てくることでしょう」
そして自らの地盤、南河内の赤坂城や千早城に籠
城すると、攻め寄せる幕府方に対して、山上から岩
や丸太を落とし、熱湯をかけるという、それまでの戦
の常識を覆した智略の限りを尽くします。
正成公は、隠岐へ後醍醐天皇を迎えにあがると、
都への凱旋の先陣を務めます。正成公の活躍は
全国に伝わり、倒幕への気運を一気に高めること
になりました。
1千人ほどしかいない正成軍に対して、8万の幕府
軍敗れたという事実は、すぐに諸国へ。
「幕府軍、恐れるに足らず」と、それまで成りを潜めて
いた各地の豪族が一斉に蜂起。
ついには幕府の内部から足利尊氏や新田義貞など
反旗を翻す者も。尊氏は京都の六波羅探題を倒し
、義貞は鎌倉幕府を破ります。
”変幻自在の軍略の数々や、後醍醐天皇への的確
な献策からは、彼の「先見性と合理性」が見て取れ
ます。
物流を差配しているがゆえに情報通だったこともある
でしょうし、古来、渡来人たちが多く入植した河内の
土地柄もあって、外からの知識に柔軟なところもある
のでしょう。
当時の知識階級である寺社勢力と親しく交流して
いたことも大きかったはずです。彼が「天才軍略家」
の名をほしいままにする背景には、日常生活の中で、
源義経の戦例や、僧兵たちの戦い方から、蒙古や
朝鮮の戦法まで、広く知りうる立場にいたことがある
かもしれません。
でしょうし、古来、渡来人たちが多く入植した河内の
土地柄もあって、外からの知識に柔軟なところもある
のでしょう。
当時の知識階級である寺社勢力と親しく交流して
いたことも大きかったはずです。彼が「天才軍略家」
の名をほしいままにする背景には、日常生活の中で、
源義経の戦例や、僧兵たちの戦い方から、蒙古や
朝鮮の戦法まで、広く知りうる立場にいたことがある
かもしれません。
さらに正成は、自らの利益ではなく、理想のために
行動する「無私」の姿勢を貫いたからこそ、「とらわれ
ない心」でありのままの状況を正しく見極めることが
できたのではないでしょうか。
そしてそれゆえに、自らの想定が覆されても挫ける
ことなく、その時その時の最善の道を追求し続ける
「湧くがごとき智謀」を発揮できたのだと思われます。”
(同)
行動する「無私」の姿勢を貫いたからこそ、「とらわれ
ない心」でありのままの状況を正しく見極めることが
できたのではないでしょうか。
そしてそれゆえに、自らの想定が覆されても挫ける
ことなく、その時その時の最善の道を追求し続ける
「湧くがごとき智謀」を発揮できたのだと思われます。”
(同)
明るくて圧倒的な先見性があり、侠気があって皆
を引きつけてやまない魅力を持った正成公。
子どもの頃に見た大河ドラマ「太平記」のシーンに
涙が出てきます。
を引きつけてやまない魅力を持った正成公。
子どもの頃に見た大河ドラマ「太平記」のシーンに
涙が出てきます。
0コメント