『才は才を知る』

現代の「本土日本人」に含まれている縄文人からの遺伝情報は、約12%だと、国立遺伝学研究所がまとめたそうです。
「国立遺伝学研究所の斎藤成也教授らのグループは、福島県にある縄文時代の集落の遺跡、
三貫地貝塚」から出土したおよそ3000年前の縄文人の歯から、細胞の核のDNAを取り出し
ました。

縄文人のDNAは、これまで細胞の中にある「ミトコンドリア」という器官に由来するものしか得られていませんでしたが、細胞の核のDNAはミトコンドリアのDNAに比べ、数千倍から数万倍の情報量があり、遺伝情報がより詳しく分析できます。

研究グループが、人類が各地に移り住む中で枝分かれする過程を探ろうと、このDNAを基に、さまざまな人々との関係を新たに調べたところ、縄文人は現在、東アジアや東南アジアに住んでいる人々よりも早く枝分かれしたと考えられることがわかりました。

そのうえで、現代の「本土日本人」とも遺伝情報を比較したところ、縄文人から伝わったと考えられる遺伝情報の割合は、およそ12%だったということです。」
NHK「本土日本人」に含まれる縄文人の遺伝情報 約12%

同調査では、縄文人と世界各地の現代人のDNAを比較したところ、中国南部の先住民や
中国・北京の中国人、ベトナム人などは互いに近い関係にあるのに対し、縄文人はこれらの
集団から大きく離れていた
といいます。
現生人類ホモ・サピエンスは、4~5万年前にアジア地域に到来し、その後、各系統に分かれました。今回のDNA解読で、少なくとも1万5千年前よりも古い時期に縄文人につながる系統ができ、東アジアや東南アジアの集団は、別の系統の中から生まれたと考えられるそうです。
そして日本人では、遺伝的にはアイヌ人が最も縄文人と近い関係にあり、沖縄の琉球人、
東京周辺の人と続きました。司馬遼太郎さんが、かつて三内丸山人(縄文時代前期から中期の大規模集落に住んだ人々)「思いやりの採集時代の人々」と表現したのを思い出します。   
「小生は多少方角オンチです。三内丸山人にも小生のような人がいたでしょう。
漁の帰途、夜になって方向を見うしなったとき、もし望楼に焚火がもやされていたら、どんなに心強いでしょう」

司馬さんと交友のあった森浩一さん(考古学者)は、「司馬さんの『思いやりの採集時代の人々』 という表現。こんなに温かく縄文人をみた人を僕は知らない」と言われました。
才は才を知るものですね。 

”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”