『感ずる心は、自然と、しのびぬところより
いづる物なれば、わが心ながら、わが心にも
まかせぬ物にて、悪しく邪なる事にても、
感ずる事ある也、是は悪しき事なれば、
感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所より
感ずる也』(小林秀雄「本居宣長」)
先日来、脳裏にある小林秀雄の言葉。
そんな中で橋本治氏が著した『小林秀雄の恵み』は、
大変興味深いことを書いていました。
『我々は近代を特別視している。特別視している
ことを、意識してさえもいない。
我々は洋服を着ている。そのことを自然としている。
しかし、日本人は近代になって洋服を着始めた。
我々は学校教育を当然のように経過している。
それもまた近代に始まった。近代とそれ以前とでは、
言葉も違う。我々の使う日本語は、近代になって
創られた「口語」という新しい日本語だ。
だから、近代とそれ以前との間には大きな壁がある
――そのことも自然と理解できる。
しかし、日本の近代がそれ以前の時代と違うのは、
近代の日本が「西洋文明圏の一角」として
位置づけられていることである。
日本人は、そのことを当然のように理解していて、
しかし、日本が自分達を「西洋文明圏の一角」と
して位置づけようとして「近代」なる時代を
スタートさせたことに対しては、理解を曖昧にしている。
曖昧にしていてもかまわない最大の理由は、我々
が近代に生きているからである。
「既に我々は近代に生きている」――その事実が
ある以上、近代を疑っても仕方がない。
おそらく、我々が近代を特別視し、それを当然と
して疑わない最大の理由は、我々が近代という
時代に生きているからだ。だから我々は、近代以前
を差別視する。近代と近代以前は一つにならない。
近代以前の日本に「近代的知性」はない――
「近代的知性」は西洋によってもたらされたもの
とすれば、そういうことになる。近代以前の日本
にあるものは、「近代的ではない知性」である。
それは普通、「知性には値しないもの」と解される。
そうすると我々は、西洋と出合う前は「知性」
そのものを持たなかったことになる。
ところでしかし、西洋文明と出合って我々が得る
ものは、「西洋の知識」であり、「西洋に生まれた
近代的知性」である。近代を始めた我々は、それを
学ぶしかない。
それはいいのだが、だとすると、「西洋を学ぶ」
を可能にした「学問をする知性」はどこで育ったのか?
西洋と出合って、我々日本人は「学ぶ」を可能に
することが出来た――それを可能にする「学問する
知性」は、どこで生まれたのか?
西洋の知性や知識がいつ日本に入って来たかを
確認するのは、難しくない。明治になってからで
ある。それでは、それを摂取しえた日本人は、
いつ「学問する知性」を確立したのか?
それは、一向にはっきりしない。
「はっきりしなくてもかまわない」とさえ、
日本人は思っている。なぜならば、「日本の
近代的知性は明治になって始まった」と、
そのように理解しているからである。
近代人は、苦労して西洋を学ぶ。その苦労の
前には、「日本人の学問する知性はいつ
始まったのか?」を考える必要はないとさえ
思ってしまえるのである。
しかし、明治に於ける近代のスタート以前、
日本に「学問する知性」はあるのである。
それを「ない」とすると、日本には独自の思想
も哲学も存在しないことになってしまう。
そして、日本の近代知性はそれをたやすく
「ない」と言って、西洋の思想や哲学を己のルーツ
としてしまうのである。
しかし、『本居宣長』を書く小林秀雄は、これ
に真っ向うから異議を唱えた。その異議が真っ向う
から唱えられているということを理解しない人は、
『本居宣長』になにが書かれているかを
理解しない人である。』
『「もののあわれを知る」ということは、心が
練れることなんです。』と言った、小林秀雄の
言葉を思い返しています。
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